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N.Dash (会話 | 投稿記録)
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== デビューまで ==
誕生当時の[[西山牧場]]は、成績不振を理由にそれまでの大量生産体制から、少数精鋭体制への転換を試みており、自家繋養の種牡馬をほぼ売却し、繁殖牝馬も大量に処分していた。セイウンスカイの父[[シェリフズスター]]も、これ以上の成果を期待できないと売却された。そして産駒の約100頭近くも売却する予定だったが、その中から3頭だけは残そうと言うことになり、その中にセイウンスカイとセイウンエリアがいた。
 
: <small>シェリフズスターは、以前は消息不明ということだったが、競馬情報誌『サラブレ』[[2005年]]9月号によると<ref>そのサラブレ読者ページでも、消息不明の理由が「宇宙人に連れ去られた」「改造されサイボーグ馬としてセイウンスカイという登録名で走っている」等ネタに使われていた。</ref>、廃用後もある育成牧場に預けられていたことが分かった。そこで、[[草競馬]]への出走を目指して調教されていたが、高齢のためか体がついていかなくなり、最終的には立てなくなって、死亡したということである<ref>記事内において、管理していた牧場関係者はその存在を隠していた理由に「静かに余生をすごさせたい」とし、同馬を慮った発言を残している。しかしながら、死亡した理由から「結局何をしたかったのか」という声も上がっている。</ref>だが競走馬として残った3頭のうち2頭がオープンクラスまで出世し、そのうちの1頭がGIを制覇するという結果から、その後、貴重なハイペリオンの血を引く種牡馬として活躍する機会がなかったのは競馬界、生産界にとっての損失とも言える。それまでまったく実績のなかった種牡馬が突如化けるという一つの例として引き合いに出されることもある。</small>
 
育成段階でも特に目立つところは見せず、当初入厩先予定として話を進めていた[[栗東トレーニングセンター|栗東]]のとある調教師は、結局入厩拒否のような形で、セイウンスカイを受け取りには来なかった。そこで、折しも、かねてから付き合いのあった[[保田隆芳]]の息子の[[保田一隆]]が調教師免許を取得し、定年で引退する父親と入れ違いに新たに厩舍を開業すると言うことで、その開業祝いのプレゼントとしてセイウンスカイを預託する事になったという。だがこの時点では西山もここまで活躍するとは思っていなかった。
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血統が良くないこともありデビュー前の評価は低く、デビュー戦は5番人気だった。しかし道中3、4番手につけ4コーナーで先頭に立つと、そのまま押し切り6馬身差をつけて優勝した。さらにつづくジュニアカップでは、評判馬のメガヒットらを相手に逃げ、5馬身差をつけ連勝。低評価から一変、[[クラシック (競馬)|クラシック]]候補へと名乗りを上げた。
 
[[弥生賞]]ではジュニアカップ同様逃げるものの、最後の坂で[[スペシャルウィーク]]に差しきられて2着に敗れてしまうが、3着[[キングヘイロー]]とあわせて'''クラシック3強'''を形成した。ただこの敗戦で、それまで[[主戦騎手]]だった[[徳吉孝士]]が馬主サイドの[[西山茂行]]らの意向で鞍上から下ろされ、代わりに調教師の保田の「開業したばかりの厩舎の主戦になってくれる騎手を」との要望から[[横山典弘]]が主戦騎手となった<ref>[[別冊宝島]]1005『競馬裏事件史 これが真相だ!』([[宝島社]]、[[2004年]])pp.52 - 61</ref>。
 
そしてクラシック第1弾、[[皐月賞]]では道中は2番手を追走、4コーナー手前で先頭に並び掛けるとそのままキングヘイロー、スペシャルウィークの猛追を抑え皐月賞を制覇<ref>馬主である[[西山牧場]]の[[西山正行]]はセイウンスカイが出走する皐月賞を観戦した際、レース前に[[井崎脩五郎]]に「なんかいい馬いる?」と質問し、井崎が西山の馬とは知らず(当時は西山牧場=''ニシノ''のイメージが強かった)にセイウンスカイを推すと、「そんなにいい馬なのか!?」と驚いていた。</ref><ref>差し追いの騎乗が得意とされる[[横山典弘]]が主戦となったが、横山自身はセイウンスカイの実力に絶対の自信を持っていた。そのため、皐月賞直前のインタビューには「いつも武(豊)ばかりじゃ面白くないでしょ?」と発言していた。</ref>鞍上の横山典弘も[[クラシック (競馬)|クラシック]]初制覇となった。しかし続く[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]ではキングヘイローがよもやの逃げを打ち、これと競り合いとなったため直線で思ったほど手応えが無く、スペシャルウィークに5馬身以上の差をつけられ4着に敗れた。次走に選ばれた秋の初戦、[[京都大賞典]]では、序盤で大きく後続を離しながら3コーナーでいったんペースを落として後続を引きつけ、最後の直線で突き放す戦法でレースを支配し、この年の春の[[天皇賞]]優勝馬[[メジロブライト]]を首差抑え勝ち、[[菊花賞]]への出走が決定した。
 
そして菊花賞では、前半1000mを59秒6というハイペースでとばし、中間の1000mを64秒3と一気にペースを落とし、そしてラスト1000mを59秒3で駆け抜けるという、京都大賞典の再現のような逃げでスペシャルウィークを3馬身半離して勝利。3000mの長丁場を逃げ切るのは至難の業であり、菊花賞の逃げ切り勝ちは38年ぶりであった。このときのタイム3分3秒2はレースレコード<ref>[[2006年]]、[[ソングオブウインド]]によって更新された。</ref>であり、当時の3000mの世界レコードでもあった<ref>後に[[ドンカスターステークス]]でタガジョーノーブルによって更新された。</ref>。前週に不慮の死を遂げた[[サイレンススズカ]]に代わる新たな逃げ馬、[[ビワハヤヒデ]]以来の[[馬の毛色#芦毛|芦毛]]の最強馬として期待された。しかし続く[[有馬記念]]では1番人気に支持されるも、同期の[[グラスワンダー]]の前に4着に敗れた。また二冠を制していたことから最優秀4歳牡馬への選出も期待されたが、[[NHKマイルカップ]]、さらに古馬相手の[[ジャパンカップ]]を優勝した[[エルコンドルパサー]]に奪われてしまう結果となった。
 
=== 4歳 ===
翌年は[[日経賞]]を勝利するが、本番の天皇賞(春)ではスペシャルウィーク、メジロブライトに差し切られ3着。休養後、[[札幌記念]]では戦法を一転させ後方からの捲くり勝ち。しかし1番人気で臨んだ天皇賞(秋)では、本馬場入場時[[ダイワテキサス]]と接触、ゲート入り嫌がるアクシデントなどもあり5着に敗退。さらにはレース後には[[屈腱炎]]を発症し、長期の休養に入った。
 
天皇賞(秋)の敗因の一つに上げられるゲート入りに時間を要したことついては、セイウンスカイ陣営がレース前に、JRA職員から「ゲートは横方向から入ること」と指示されたことが原因(VTRでも通常とは異なる手法でセイウンスカイをゲートに誘導していることが分かる)とJRA側を非難したが、JRA側は指示を行っていないと回答とするなど水掛け論争となった。
 
=== 5歳 ===
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== 種牡馬時代 ==
[[画像:Seiunsukai.JPG|230px|thumb|[[2006年]]9月撮影(アロースタッド)]]
繁殖入り後の[[2002年]]から[[アロースタッド]]で繋養され[[種牡馬]]生活を送っていた。
 
現在のところ種牡馬としての成績は芳しくなかったが、[[2006年]][[9月9日]]、札幌競馬場で行われた「1R21R 2歳未勝利」戦で、父と同じ芦毛のニシノプライドが中央競馬で初勝利を挙げた。現役時代の休養からの復帰が結果的にうまくいかず、引退時期が遅れた格好になった上、血統的な評価が低いこともあり同世代([[キングヘイロー]]、[[スペシャルウィーク]]、[[グラスワンダー]]など)と比べて人気が上がらず種付頭数が圧倒的に少ない状況にあった。[[2007年]][[12月9日]]、アロースタッドから[[西山牧場]]へ移動した。
 
[[2011年]][[8月16日]]、西山牧場の馬房にて立ち上がる際に、頭部を強打して、即死した<ref>{{Cite web|url=http://ameblo.jp/nybokujo/theme-10024863045.html|title=セイウンスカイよ、永遠なれ…|西山茂行オーナーのブログ「西山牧場オーナーの涙気分」 Powered by アメブロ|accessdate=2011-08-16}}</ref>
 
尚、障害用種牡馬としてアイルランドに輸出するという話も一部で挙がっていたが、ニシノプライドがオープンまで順調に勝ちあがったこともあり<ref>ニシノプライドはその後オープンクラスで出走を続けるも勝ち上がれず、障害に転向。2走目の障害未勝利戦でレース中に転倒し競走中止、予後不良となっている。</ref>、しばらくは日本で種牡馬生活を続ける見通しだった。
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=== 年度別繁殖成績表 ===
* 中央競馬
{| class="wikitable"
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|出走!!colspan="3"|勝利!!rowspan="2"|[[アーニングインデックス|AEI]]!!rowspan="2"|収得賞金
|-
!頭数!!回数!!頭数!!回数!!順位
|-
||2005年||8||14||0||0||439||0.03||180万円
|-
||2006年||18||86||3||3||193||0.33||3925万円
|-
||2007年||21||77||2||2||221||0.23||3220万円
|-
||2008年||12||70||4||5||120||1.10||8301.4万円
|-
||2009年||9||54||2||2||178||0.67||3774.6万円
|-
||通算||39||301||7||12||-||-||19401万円
|}
※2009年終了時点。
 
== 競走成績 ==
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
|colspan="3"|年月日||style="white-space:nowrap"|[[競馬場]]||style="white-space:nowrap"|競走名||style="white-space:nowrap"|[[競馬の競走格付け|格]]||style="white-space:nowrap"|頭<br/>数||style="white-space:nowrap"|枠<br/>番||style="white-space:nowrap"|馬<br/>番||オッズ<br/>(人気)||style="text-align:right; white-space:nowrap"|着順||style="white-space:nowrap"|[[騎手]]||style="white-space:nowrap"|斤量||[[競走馬の適性|距離]](馬場)||タイム<br/>(上り3[[ハロン (単位)|F]])||style="text-align:right; white-space: nowrap"|タイム<br/>差||勝ち馬/(2着馬)
|-
|style="text-align: right;"|[[1998年|1998]]
|colspan="3"|年月日
|style="whitetext-spacealign: nowrap;right"|[[競馬場]]1.
|style="whitetext-spacealign: nowrap;right"|競走名[[1月5日|5]]
|style="white-space: nowrap;"|[[中山競馬の競走格付け|中山]]
|style="white-space: nowrap;"|頭<br/>数
|style="white-space: nowrap;"|枠<br/>番
|style="white-space: nowrap;"|馬<br/>番
|オッズ<br/>(人気)
|style="text-align: right;"|着順
|style="white-space: nowrap;"|[[騎手]]
|style="white-space: nowrap;"|斤量
|[[競走馬の適性|距離]](馬場)
|タイム<br/>(上り3[[ハロン (単位)|F]])
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|タイム<br/>差
|勝ち馬/(2着馬)
|-
|style="text-align: right;"|[[1998年|1998]]
|style="text-align: right;"|1.
|style="text-align: right;"|[[1月5日|5]]
|style="white-space: nowrap;"|[[中山競馬場|中山]]
|[[新馬戦|4歳新馬]]
|
111 ⟶ 96行目:
|8
|16
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|12.0(5人)
|style="text-align: right; white-space: nowrap; color: #f00;"|1着
|[[徳吉孝士]]
|55
|style="white-space: nowrap;"|芝1600m(稍)
|style="text-align: right;"|1:36.7(36.9)
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|-1.0
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*3代母の半姉に[[安田記念]]など重賞3勝のスイートネイティブがいる。
 
母方の血統は[[シンボリ牧場]]所縁である。母のシスターミルは初仔でセイウンスカイを生んでいるが、その後の7頭の弟妹に活躍馬はいない。ただ、[[2002年]]生まれの半弟ディープサイレンス(父[[サンデーサイレンス]])は未出走ながら種牡馬になっている。
 
== 脚注 ==
382 ⟶ 367行目:
<references/>
</div>
 
{{皐月賞勝ち馬}}
{{菊花賞勝ち馬}}