「中濃攻略戦」の版間の差分
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==中濃攻略戦==
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永禄8年(1565年)には、美濃佐藤氏国人衆で美濃において有力勢力である美濃要所でもある[[加治田城]](飛騨と郡上更に東濃への重要拠点であり、日本国中心位置である)城主佐藤忠能・忠康父子と加治田軍(加治田衆)が梅村良澤の説得に応じ、丹羽長秀の内心工作の働きもあり、梅村良澤を使者として信長に寝返る。加治田衆の内心は、尾張統一、美濃攻略の礎となり、斎藤氏の弱体化に繋がった。
===[[犬山城]]・[[烏峰城]]攻城戦===
1565年、斎藤氏と同盟の犬山城主織田信清攻略開始。本拠地を清州から小牧山城へ本拠を移しており、信長は尾張支配と同時に美濃中濃を攻めることによって、斉藤龍興の勢力をそぐ作戦を開始した。美濃へは森可成が初めに烏峰城(後の金山城)を攻略する。
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