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=== 湯口事件 ===
{{see also|湯口事件}}
湯口は1972年11月23日に行われたファン感謝デーの紅白戦でリリーフ登板するが、前日に参加した無礼講の飲み会の余韻のせいか(自分の登板予定がいものと考えかったため、大量の酒を痛飲していた)、1アウトも取れずに打者一巡、2ホームランと打ち込まれ、[[川上哲治]]監督、[[中尾碩志]]二軍監督から厳しい叱責を受けたと言われている。更に、この日は合宿所に帰らず、翌日戻ったときにその中尾から[[拳骨]]を食らった。11月27日に行われた納会では話しかけられても反応しない、視点が定まらないなど、体の変調を見せる。翌日、チーム担当の医師から[[うつ病]]と診断され、その後2度の入退院を繰り返した。しばしば「川上監督に申し訳ないことをした」と紅白戦のことを思い出しては悔やんでいたという。
 
翌1973年初めに病状が改善し、同年2月に宮崎県都城で行われた2軍キャンプに参加(これはマスコミを警戒した球団側の意向もあったといわれている)。しかし、キャンプ初日にチームメイトが話しかけても反応しない、夜中に大声を上げるなど、再び精神的な異変が現れたため、翌日には監督から参加禁止を言い渡され、東京への帰還を命じられた。到着直後の羽田空港内で症状が悪化したため都内の精神科病院に再入院し、治療を受けていたが同年3月22日に急逝した。死因は[[心臓麻痺]]と発表された。しかし、前日までは元気だった湯口が死去したのは不自然であり、誰もが「自殺ではないのか?」と怪訝な目で見ていたという。