「小笠原忠知」の版間の差分
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[[信濃国|信濃]][[松本藩]]主・[[小笠原秀政]]の三男。母は[[松平信康]]の娘。正室は[[多賀光定]]の娘。子は[[小笠原長矩]](長男)、[[小笠原長敦]](次男)、[[小笠原長定]](三男)、[[小笠原長秋]](四男)。官位は従五位下、[[壱岐国|壱岐]]守。幼名は虎松丸。
三河吉田藩主時代、豊橋向山の大池を郡代長谷川太郎左衛門に掘削させ、この大池より水を引いて[[吉田城 (三河国)|吉田城]]の惣濠([[外堀]])を水堀にした。その水は堀を通り、豊橋吉田方地区の灌漑用にも用いたと言う。
寛文3年(1663年)7月29日、65歳で死去し、
{{杵築藩主|小笠原氏||1632年 - 1645年}}
{{三河吉田藩主|小笠原氏|初代|1645年 - 1663年}}
{{DEFAULTSORT:おかさわら たたとも}}
[[category:小笠原氏|たたとも]]
[[Category:
[[Category:譜代大名]]
[[Category:1599年生]]
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