「古川ロッパ昭和日記」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
6行目:
ロッパは其の日の出来事を事項別にメモしたノートに記し、その翌朝、ノート類をもとに日記に付けていた。仔細に書く必要から万年筆を裏返して小さな字で記入し、余白部には追記の書き込みを設けた。始め日記帳は市販のを使っていたが戦時中の紙不足で手に入らなくなると大学ノートに記入するようになる。このことがスペースにこだわらない「のびのびした日記気分」(1945年2月26日)を生みだし、1945年度から日記の記述が倍増し、一か月にノート一冊分にもなるほどであった。日記の総量は400字詰め原稿用紙三万枚以上とされる。<ref>「日記による近代日本 4 昭和前期」p・174</ref>
 
空襲で自宅が焼失したが、日記類は[[防空壕]]に収納されて焼失を免れ、以降は日記こそが生きがいと感じるほど大事なものとなる。[[防空壕]]に日記を避難させて焼失を免れ、記述にも「日記をつけている瞬間が、天国だといふことを知ってゐるのは僕だけだ。」(1945年2月12日)というような記述が多く見られたり、ている。この姿勢は最晩年になっても「日記は俺の情熱、そして業」(1960年12月4日)と記されてい如く、彼自身がなど最後まで愛着をち続けていたことが分かる。それだけに自身の内面が垣間見られ、通読すると、戦前の順風満帆期から戦中の苦難を経て、戦後、人気が凋落し債務と病魔に苦しむ晩年までの一芸人の哀歓が描かれている。
 
日記の一部は、食に関する部分が編集され「[[ロッパの悲食記]]」(1959)となっている。その後は遺族が保存していたが、1987年NHKのプロデユーサー滝大作によって再発見され、昌文社から全文が「戦前編」「戦中編」「戦後編」「晩年編」の4巻として発表された。