「古川ロッパ昭和日記」の版間の差分
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*1942年~1945年7月 戦時下の制限された条件で、自身の芸を確立せんと苦戦するロッパの姿がある。時局への批判、自らを鼓舞する文言、現実逃避のための美食と麻
雀に関する記事が多い。
*1945年9月以降 時流に遅れ不遇の中にあったため、内容も愚痴や病気など悲惨なものが多い。また最後まで日記に拘泥する記事が多くなる。「ロッパ日記の本質がもっともよく現れている。・・・一九五九年以降、ロッパは日記によって生かされている状態になる。」<ref>「日記による近代日本 4 昭和前期 より 加藤厚子『古川ロッパ昭和日記』の項 p・190」</ref>
1945年、ロッパは日記を戦火から守るために[[防空壕]]に入れるが、その前後から日記への記述が多くなり「日記をつけている瞬間が、天国だといふことを知ってゐるのは僕だけだ。」(1945年2月12日)とあるように日記への思い入れが強まる。この姿勢は最晩年になっても途切れることはなく「日記は俺の情熱、そして業」(1960年12月4日)と記している。
== 日記の発表 ==
日記の一部は、食に関する部分が編集され「[[ロッパの悲食記]]」(1959)となっている。その後は遺族が保存していたが、1987年NHKのプロデユーサー滝大作によって再発見され、昌文社から全文が「戦前編」「戦中編」「戦後編」「晩年編」の4巻として発表された。
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