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'''マニュエル・ゲッチング'''('''Manuel Göttsching'''、[[1952年]][[9月9日]] - )は、[[ドイツ]]・[[ベルリン]]出身の音楽家である。
 
10代後半から活動を始め(アシュ・ラ・テンペルの1st録音当時満18歳)、[[アシュ・ラ・テンペル]](のちアシュラに改名)のリーダーとしてもソロ・アーティストとしても数々の名演・名作を創造してきた。少なくともクラウト・ロックの歩みにおいて、また広義の[[イージーリスニング]]や[[アンビエント・ミュージック|アンビエント]]、[[ニューエイジ・ミュージック|ニューエイジ]]において非常に重要なギタリストである。その長い活動の中には[[1975年]]に[[アジテーション・フリー]]のMichael Hoenigと共に録音されたものの、20年間お蔵入りとなったあまりにも早すぎる傑作''"Early Water"''や、1984年にマニュエル名義で発表された『E2-E4』などがある。E2-E4はリリースされた当時は酷評されたものの、[[テクノ]][[ハウス]]の始祖として801980年代後半にそれらのDJ達によって再評価を受け、現在でも多くのアーティストから尊敬されている。彼のスタイルとテクニックは、[[1990年代]]の[[アンビエント・ミュージック]]や、[[ニューエイジ・ミュージック]]・シーンで何十人ものアーティストに影響を与えた。[[1984年]]のアルバム『E2-E4』は、[[テクノ・ミュージック]]の発展にも寄与した。
 
[[2000年]]には[[クラウス・シュルツェ]]とともにアシュ・ラ・テンペルを一時的に再結成し、スタジオアルバムとライブアルバムを発表した。2005年には立て続けに新作のリリースがあり、それ以降は[[2006年]]に日本で開催された野外フェスティバルPRISMでのライブアルバムや、[[1981年]]の録音から25周年を迎えたE2-E4の記念盤がリリースされた。