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また出演している作品の吹き替え版でも『[[バットマン ビギンズ]]』を除くすべての作品で渡辺自身が声を担当している。
 
日本映画では[[2006年]](平成18年)に[[荻原浩]]の[[小説]]『[[明日の記憶]]』映画化作品で映画初主演を果たす。同作品の映画化に当たっては各映画会社の駆け引きがあり、渡辺を含む複数の日本を代表する大物俳優達が候補に挙がったが、自らも闘病経験があり原作に人一倍の共感を持てた渡辺が荻原に映画化を熱望する旨の手紙を直接送付したことで(荻原は最初誰かの悪戯だと思ったが、紛れもなく渡辺本人からのものだと知り仰天したという)、渡辺の主演で映画化された。[[白血病]]の発症以降、患者役や医療関係者役、難病を扱った作品は避けてきたが、若年性の[[アルツハイマー病]]に冒されていく主人公をじる。また、映画公開と同じ時期に発表した自らの著書『誰? - WHO AM I?』で、かつて白血病の治療中頻繁に受けた[[輸血]](主に[[血小板]]輸血)が原因で[[C型肝炎]]ウィルスに感染し、『明日の記憶』の撮影はその治療の[[副作用]]に悩まされながら敢行していたことを告白。現在は急性骨髄性白血病・C型肝炎ウィルス感染ともに問題のない良好な状態を保っているという。更にこの作品で初めてエグゼクティブ・プロデューサーを兼任。映画の普及とアルツハイマー病への理解を促進するため全国各地を奔走した(ただし、渡辺本人は「自分は[[プロデューサー]]というよりも『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)。
 
2006年には、[[クリント・イーストウッド]]監督の映画『[[硫黄島からの手紙]]』に、[[栗林忠道]]役で日本国外映画初主演。他の主要日本人キャストはオーディションの末選出されたが、渡辺だけは監督から直接出演要請があった。外国語映画賞を受賞した[[ゴールデングローブ賞]]の授賞式において、壇上の[[クリント・イーストウッド]]監督は「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と渡辺に言葉を贈った。