「宅見若頭射殺事件」の版間の差分

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== 事件後 ==
宅見の死亡を受けて、同年[[8月31日]]には彼の[[告別式]]が執り行われた。また同日、山口組の[[渡辺芳則]]組長(当時)は中野太郎を[[#ヤクザの破門|破門]]に処した<ref>破門だと、再び山口組に戻れる可能性がある。絶縁だと、山口組に戻ることはできない</ref>。
 
さらに、事件から6日後の同年[[9月3日]]には、流れ弾に当たって負傷した歯科医師の男性が、治療の甲斐なく死亡した。渡辺組長は同日付で、中野太郎の処分を破門からさらに重い[[#ヤクザの絶縁|絶縁]]とした。一般的には、絶縁されたものはヤクザの世界に残ることはできず、組織を解散して[[カタギ]]に戻らざるをえなくなるのだが、中野会についてはその後、絶縁理由に納得できない<ref>中野は「渡辺から直接告げられた処分は謹慎であり、破門や絶縁は執行部が渡辺の意向を無視して押し切った結果だ」と主張している。</ref>として解散せず、独立組織となった。しかし独立組織となった後は、この事件の報復と思われる襲撃で幹部メンバーを殺害されたことなどにより組織力が低下し、[[2005年]][[8月7日]]に解散届を[[大阪府警]]に提出、解散している。