「辻政信」の版間の差分
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[[バンコク]]で敗戦を迎え、まもなく進駐してきたイギリス軍は辻の徹底捜索をおこなったが、辻は「腹を切ってお詫びするのが道だがアジアの中で民族の再建を図るため」僧侶に変装、さらに自殺偽装までして命からがら中国に逃亡する。この頃、ウィリアム・スティーブンソンの著作『革命の王』(原題:''The Revolutionary King'')によると、当時のタイ国王[[ラーマ8世]]の怪死事件に関与していたとされている。中国では連合国であった国民党政権に匿われ、しかも国民党政権の国防部勤務という肩書きを与えられるという奇妙な事態となった。これは[[蒋介石]]の[[特務機関]]である軍統([[中華民国国防部軍事情報局|軍事委員会調査統計局]])のボス、[[戴笠]]の家族を過去に助けた経緯から、国民党政権が辻へかなりの親近感をもっていたせいだといわれる。また[[蒋介石]]自身も、蒋の母が病死した際の慰霊祭を辻が以前におこなったことから辻に非常な好意をもっていたともいう。
やがて始まった中国の国共内戦が国民党に不利になりはじめたことから中国にとどまることにも危機を感じ、[[1948年]]に上海経由で日本に帰国して国内に潜伏する。戦友、寺院、右翼団体に匿われたり、偽名で炭鉱労働者をしたりと国内を転々としたが、
==戦後==
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