「独ソ不可侵条約」の版間の差分
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== 評価 ==
この条約の締結により、ドイツは東西
いずれにせよ、ヒトラーもスターリンも独ソ不可侵条約は互いの勢力拡大の前段階としての一時的な協調に過ぎないと考えていたのは確かである。条約は1941年6月にドイツからの攻撃開始で破綻したが、仮にドイツが先制攻撃をしなかったとしても、いずれ軍備増強が完了すればソ連の方から戦端を開いたであろう事は[[日ソ中立条約]]の例からも充分考えられる。実際、[[独ソ戦]]では緒戦でソ連は大敗北を喫したが、それはドイツ攻撃のためソ連軍が南方に集結しており、中央部の防御が手薄になっていたためだとする説もある([[独ソ戦]]を参照)。
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