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==== C56 44 ====
[[ファイル:2007 11240004.JPG|thumb|right|200px|タイ国鉄仕様として生まれ変わったC56 44(2007年11月 千頭駅)]]
[[1936年]](昭和11年)[[3月6日]]に[[三菱重工業神戸造船所]]で製造された(製番179)。当初は札幌機関庫(現・[[苗穂運転所]])に所属し、同年[[10月5日]]に[[恵庭市]]で開催された陸軍大演習のために、[[恵庭駅]] - [[札幌駅]]間で[[お召し列車]]を牽引した経歴がある。[[1941年]](昭和16年)9月、軍事供出でタイに送られることになり、同年11月に大宮工場(現・[[大宮総合車両センター]])で動輪はメーターゲージ仕様のものに改軌され、同国へ送られた。[[1942年]](昭和17年)[[1月17日]]、到着後、[[バンコク]]のマカサン工場で[[タイ国有鉄道]](タイ国鉄)の仕様に改造された同機は、同国南部に送られて使用されるようになり、後には[[泰緬鉄道]]でも使用されるようになった。戦後にはタイ国鉄で735として使用されたが、[[1970年代]]半ばに[[廃車 (鉄道)|廃車]]となり、チュンポン駅に放置された。それが[[1978年]](昭和53年)6月に日本の研究家によって発見され、従軍帰還者や様々な人々に支援され、[[1979年]](昭和54年)[[6月25日]]に日本に帰国し、た。同年[[6月29日]]に大井川鉄道(現・[[大井川鐵道]])に入線し、動態復元され、[[1980年]](昭和55年)[[1月29日]]に営業運転を開始した。その際、メーターゲージ仕様の動輪はC12 93のものと交換されたが、このとき装備されていた動輪はいずれも日本国内で保存されている<ref>第1動輪は千頭駅、第2・第3動輪は大阪の共栄産業(株)。</ref>。営業運転開始当初はタイ国鉄在籍当時の姿であったが、1980年4月に可能な限り日本仕様に戻され、同年5月上旬より本格的に営業運転を開始した。C56形以外も含め数百両に上る出征機関車のうち、“奇跡の生還”を果たした出征機関車である。しかし、戦時中の酷使が災いして老朽化が著しくなり、[[2000年]](平成12年)に大修理が行われたが、なおもボイラー状態が芳しくないために同鉄道で[[国鉄C12形蒸気機関車|C12 164]]([[日本ナショナルトラスト]]所有)とともに非力(単機で牽引出来るのは客車3両が限界だった)となったことや、C11 190の入線により[[新金谷車両区]]が手狭となったことから、[[2003年]](平成15年)[[12月17日]]より[[休車]]となり[[千頭駅]]で保管された後、[[2006年]](平成18年)9月より新金谷車両区にて再整備が開始された。老朽化が著しいボイラーは、同鉄道が[[部品取り]]用として保管していたC12 208のものを整備し流用。外装は、日本とタイの修好120周年を記念してタイ国鉄在籍当時の姿(一部車体は緑色でタイ語も書き込まれる)に復元されている。[[2007年]](平成19年)3)[[3月末27日]]にボイラー交換作業を行いが完了し、同年[[7月24日]]に塗装が開始<ref>[http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2007/09/c56.html C56 44“タイ国鉄仕様”が試運転。 - 編集長敬白アーカイブ]</ref>され、[[9月4日]]に報道陣公開のうえ火入れ式をが行っわれた。9同月中に再び試運転として大井川本線を走行し、[[10月7日]]より運用に復帰している。それから3年が経過した[[2010年]](平成22年)、9月に行われる定期検査に合わせて、再び国内仕様に戻すことが決定され、タイ国鉄仕様の同機の活躍は同年9月までの運用となった。[[2011年]](平成23年)1月29日より日本仕様で営業運転に就いている。<ref>[http://www.oigawa-railway.co.jp/100900c5644_thailand.htm 大井川鐵道公式ホームページ]の「C56タイ国鉄仕様(ご乗車・撮影)ラストチャンスについて」より</ref>。
主要諸元は以下のとおり。
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