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==== 大井川鐵道 ====
===== C11 190 =====
[[1940年]](昭和15年)[[9月11日]]に竣工として[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輌]]兵庫工場で製造された(製番2361)3次形の1両。[[1941年]](昭和16年)[[3月31日]]に尻内機関区に新製配置され、[[1943年]](昭和18年)9月に早岐機関区へ転属、[[1949年]](昭和24年)[[3月1日]]に伊万里機関区へ転属、さらに[[1950年]](昭和25年)[[10月15日]]に熊本機関区へ転属し、[[九州地方]]で使用された。[[1966年]](昭和41年)[[10月28日]]に[[三角線]][[熊本駅]]→[[三角駅]]間で[[お召し列車]]を牽引した経歴がある。<ref>このため、復活当初はお召し仕様であった。</ref>[[1974年]](昭和49年)[[4月25日]]付けで休車となり、同年[[6月12日]]付けで廃車となり、[[1977年]](昭和52年)に[[解体#鉄道車両|解体]]される予定であったが、[[熊本県]][[八代市]]在住の個人に買い取られ、[[1978年]](昭和53年)に[[静態保存]]された。同氏が復活を夢見て大切に保管していたことが、大井川鐵道の関係者の目にとまった。[[2001年]](平成13年)[[6月23日]]に海上輸送で御前崎港西埠頭に到着、[[6月24日|同月24日]]に大井川鐵道に入線した。同年[[8月28日]]より同鉄道では「C11 190復活プロジェクト」が開始された。[[2003年]](平成15年)5月に塗装が完了した。外装は[[除煙板]]に金色の社紋が取り付けられ、車体各所にステンレスによる縁取りがなされたお召し仕様のものになった。[[6月16日]]より試運転、[[7月17日|7月17]]、[[7月18日|18日]]に募金者対象の試乗会が実施され、[[7月19日|同月19日]]に営業運転を開始した。[[2008年]](平成20年)の「ナイトトレイン」以降、[[2009年]](平成21年)の検査までの間にヘッドライト横にシールドビームによる副灯が追加されている。同年[[9月9日]]には、鉄道部品店ジャパレが主催とする団体列車「銀河超特急999号」の牽引機として充当された当日は、TVアニメ版銀河鉄道999の999号を模した装飾を施して運転されている。お召し仕様は、[[2007年]](平成19年)の検査で通常の仕様に一時戻された<ref>2007年の検査ではナンバープレートのみお召し仕様(緑地に金文字)で残していたが、2008年7月の復活5周年記念[[ヘッドマーク]]取り付け時より通常のナンバープレート(黒地に金文字)に変更された。ただし、2009年春の定期検査後、再びナンバープレートおよび連結棒が緑に戻されている。</ref>が、2011年(平成23年)[[10月7日|10月7]] - [[10月9日|9日]]に開催されるSLフェスタ2011および全国SLサミットに合わせて、再びお召し仕様になった。[[2012年]](平成24年)現在、単機での牽引は客車5両までが可能である。
主要諸元は以下のとおり。
C11 171・C11 207の2両が動態保存されている。いずれも車籍は[[旭川運転所]]に所属。詳細は以下のとおり。
===== C11 171 =====
1940年[[7月19日]]に竣工として川崎車輛輌兵庫工場で製造された(製番2333)3次形の1両。同年[[7月28日]]に[[稲沢機関区]]に新製配置され、1941年[[10月25日]]に名古屋機関区(現・[[名古屋車両区]])に転属し、[[中京圏]]で使用された。1942年[[2月14日]]には深川機関区に転属、[[1944年]](昭和19年)[[4月19日]]には朱鞠内機関区に転属し、1949年[[3月9日]]には標茶機関区に転属し、[[1953年]](昭和28年)[[8月15日]]には木古内機関区に転属し、さらに1956年9月8日には長万部機関区に転属し、廃車になるまで北海道で使用された。1974年[[7月16日]]に釧路機関区に転属し、1975年[[4月24日]]の無煙化まで貨物列車を牽引した。同年6月25日に廃車となり、[[8月13日]]に[[標茶町]]の桜町児童公園に静態保存された。しかし、[[1995年]](平成7年)[[11月3日]]に「[[C62ニセコ号]]」の運転を終了したJR北海道からの要請で返還され、1998年[[11月27日]]より[[北海道旅客鉄道苗穂工場|苗穂工場]]にて動態復元工事が開始された。[[1999年]](平成11年)[[4月21日]]に車籍復活し、同年[[5月1日]]より[[留萌本線]][[深川駅]] - [[留萌駅]](後に[[増毛駅]])間の「[[留萌本線#SLすずらん号|SLすずらん号]]」([[2006年]](平成18年)[[9月10日]]に運転終了)として運転を開始した。その後は「SLすずらん号」のほか、「[[富良野・美瑛ノロッコ号|SLふらの・びえい号]]」や「[[SL冬の湿原号]]」、「[[SL函館大沼号]]」などの道内の[[蒸気機関車牽引列車]](SL列車)で使用されている。
臨時列車としての運転記録は以下のとおり。
===== C11 207 =====
[[ファイル:SL Okhotsk04.JPG|thumb|180px|C11 207 SLオホーツク号(2011年試運転、藻琴駅 - 北浜駅間)]]
1941年[[12月26日]]に竣工として日立製作所笠戸工場にて製造(製番1488)。C11 171と同じく3次形の1両。新製配置区は不明だが、1949年3月31日に尻内機関区に転属した。[[1972年]](昭和47年)[[12月8日]]に長万部機関区に転属してからは、[[瀬棚線]]の[[貨物列車]]などに使用されたが、同線の無煙化に伴い、1974年[[6月30日]]に「瀬棚線SLさよなら列車」に使用された。同年[[10月1日]]に廃車となり、[[11月19日]]に[[静内町]](現・[[新ひだか町]])の山手公園に静態保存された。[[2000年]](平成12年)[[3月3日]]にJR北海道に変換され、苗穂工場で修復を受け、同年[[9月30日]]に車籍復活し、[[10月7日]]より[[函館本線]][[小樽駅]](後に[[札幌駅]]) - [[ニセコ駅]](後に[[蘭越駅]])間の「[[SLニセコ号]]」に使用されるようになった。復活1年目は車軸の異常発熱が頻発して満足に運用できず<ref>2000年10月のSLニセコ号運転初日には同機が充当される予定であったが、故障のためC11 171が代走した。</ref>、修理と調整を繰り返した末、翌年になってようやく安定稼働するようになった。以後は「SLニセコ号」を中心として「SL冬の湿原号」や「SL函館大沼号」などにも使用され、時折C11 171と重連運転も実施している。なお、同機は濃霧の多い線区で使用されたため、前照灯を左右除煙板のステー上に各1基ずつ搭載する「[[カニ]]目」、「蟹」と呼ばれる非常に独特な外見となっている。
臨時列車としての運転記録は以下のとおり。
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