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Rampage (会話 | 投稿記録)
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[[1981年]]5月9日に[[保永昇男]]戦でデビュー<ref>『泣き虫』p.86</ref>。この頃の得意技は跳躍力を活かしたミサイルキック(トップロープからの[[ドロップキック]])。
 
[[1982年]]からはアントニオ猪木の付き人を務める<ref>『泣き虫』p.93</ref>。[[1983年]]に猪木が[[カナダ]]遠征をした際に付き人として同行しており、欠場した[[佐山聡|初代タイガーマスク]]の代わりにたまたま試合に出場したところ、[[ジャパニマン・スープレッグロールス]]ラッチで勝ちを収め、高田のテレビ中継デビュー試合でもあり、ポスト・タイガーマスクとして一躍注目を集める存在となった<ref>『泣き虫』p.101</ref>。それまでは前座で勝てなかった先輩達([[新倉史祐]]、[[小杉俊二]])から勝利を収め、代打の形でTVマッチにも抜擢されるようになり、「青春の[[エスペランサ]]」の異名がつけられた。当時の入場テーマ曲は「疾風のライダー」という曲で[[UWF]]移籍前の新日時代にかかっていた。また、ジュニア戦線での闘いを意識して[[後ろ蹴り|ローリングソバット]]を多用していた。
 
=== 旧UWF〜新日本プロレス〜新UWF ===