削除された内容 追加された内容
Oiau (会話 | 投稿記録)
Oiau (会話 | 投稿記録)
599行目:
D51 1の詳細をお書きします。
 
[[1936年]](昭和11年)[[3月22日]]竣工として[[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輌]]で落成製造された(製番1643)。当初同年[[4月16日]]には敦賀機関区に所属し新製配置され、その後は[[東北地方]]で活躍し、[[奥中山]]や[[矢立峠]]で[[重連|三重連]]列車に使用され、1971年(昭和46年)10)[[1012日]]に浜田機関区に属した。[[1972年]](昭和47年)10)[[102日]]梅小路機関区(現・[[梅小路蒸気機関車館|梅小路運転区]]に移動してからは、主に[[京都府]]内の[[臨時列車]]の牽引に使用された。しかし、[[1978年]](昭和53年)1月頃に検査切れのため静態保存機となり、[[1987年]](昭和62年)3月に除籍された。[[2006年]](平成18年)、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。
 
臨時列車としての運転記録は以下のとおり。
612行目:
==== JR西日本 200号機 ====
[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[梅小路蒸気機関車館]]に200号機が[[動態保存]]されている。詳細は以下のとおり。
:[[1938年]](昭和13年)[[10月6日]]竣工として[[東海旅客鉄道浜松工場|浜松工場]]で製造され(製番25)225)、[[稲沢機関区]]に新製配置された2次形(標準形)の代表機。[[稲沢機関区]]や米原機関区([[1943年]](昭和18年)[[3月9日]]配置)・大垣機関区に所属し、([[1945年]](昭和20年)[[11月27日]]配置)時代は[[東海道本線]]などで使用された。[[1950年代]]に中津川機関区(現・[[中津川運輸区]])に属してからは[[中央本線]]専属となり、[[1972年]](昭和47年)[[10月5日]]梅小路機関区(現・[[梅小路蒸気機関車館|梅小路運転区]]で保存されることになった。同機の状態は良く、展示機として動態保存されている。[[1979年]](昭和54年)[[3月28日]]に一旦除籍され、[[1987年]](昭和62年)3月に車籍復活した。[[1997年]](平成9年)[[10月10日|10月10]]、[[10月11日|11日]]の両日に[[京都府]][[福知山市]]で開催された福知山JR10周年記念イベントにおいて、[[福知山駅]] - [[福知山運転所]]間を[[12系客車]]を牽引して走行したこともある。それ以来、同機は[[鉄道車両の検査#全般検査|全般検査]]を受けていないため本線走行は不能であり、館の展示線での展示運転(SLスチーム号)のみに留まっている。また、同機は新人蒸気機関車運転士<!--JR旅客会社に「機関士」の職名は存在しない-->の教習訓練車としても使用されている。[[2006年]](平成18年)、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、[[鉄道記念物#準鉄道記念物|準鉄道記念物]]に指定された。
 
===== 参考文献 =====