「太田誠一」の版間の差分
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[[農林水産大臣]]([[福田康夫内閣 (改造)|第48代]])、[[総務庁長官]]([[小渕内閣|第22代]])、[[衆議院議員]](8期)、[[宏池会]]会長代行、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]人権問題調査会会長を歴任した。
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=== 生い立ち ===
[[福岡県]][[福岡市]]出身。父は元[[博多大丸]]会長の[[太田清之助]]。
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太田家は、[[江戸時代|江戸期]]に遠賀から[[博多]]に出て、[[油]]屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を[[襲名]]している<ref name="Goubatu_p485">[[佐藤朝泰]] 著 『豪閥 <small>地方豪族のネットワーク</small>』 ([[学研ホールディングス|立風書房]] 2001年) 485頁</ref>。祖父の4代[[太田清蔵 (4代目)|清蔵]](元[[東邦生命保険|第一徴兵保険]]社長)が[[実業家]]として大成した<ref name="Goubatu_p485"/>。
[[1973年]]3月に[[慶應義塾大学]]大学院経済学研究科博士課程修了、[[1976年]]4月には[[福岡大学]]経済学部助教授に着任。[[1977年]]
▲[[1973年]]3月に[[慶應義塾大学]]大学院経済学研究科博士課程修了、[[1976年]]4月には[[福岡大学]]経済学部助教授に着任。[[1977年]] 9月には[[アメリカ合衆国]]の[[ブラウン大学]]の客員助教授に着任した。
=== 政治家として ===
[[1979年]]に[[自由民主党]]の公認で[[第35回衆議院議員総選挙]]に出馬したが落選。[[1980年]]の[[第36回衆議院議員総選挙]]で初当選を果た
[[1994年]]に自民党を離党し、[[新井将敬]]や[[柿澤弘治]]ら7人で[[自由党 (日本 1994)|自由党]]を結成。同年4月、辞意を表明した[[細川護熙]]首相の後任に自民党の[[渡辺美智雄]]の擁立を目指したが頓挫。その後、[[新進党]]への合流を経て、翌[[1995年]]7月には自民党へ復党した。
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[[1997年]]には[[ストックオプション]]の導入を目指して[[保岡興治]]らと[[商法]]の改正案を提出。[[基本法]]の改正を[[議員立法]]で行うのは初めてのことだったため、政府の[[法制審議会]]との対立が注目された。[[1998年]]の[[小渕内閣]]において[[総務庁]]長官を務めた。
[[2003年]]の[[スーパーフリー事件]]に関して「集団[[レイプ]]する人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」<ref>一説では「若い人は元気があっていいんじゃないか」と発言したともされている</ref>などと述べたことが災いし、直後の[[第43回衆議院議員総選挙]]で[[民主党 (日本 1998-) |民主党]]の[[藤田一枝]]に敗れ落選。[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では藤田を破って当選し、政界への返り咲きを果たす。
[[2008年]]8月に[[福田康夫内閣改造内閣|福田康夫改造内閣]]で[[農林水産大臣]]に就任。しかし[[事故米不正転売事件]]が発覚し[[9月19日]]に辞任した。
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*母方従妹の夫・[[福田康夫]](政治家・元[[首相]])
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* 身長186cm
* [[日韓トンネル研究会]]顧問
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*[[1982年]]の[[日本航空350便墜落事故]]では、太田は本来事故機の1列目に搭乗予定であったが、空港で会った先輩議員に同行するため、同時刻発の[[全日本空輸|全日空]]便に変更したため難を逃れたという<ref>TBSテレビ 『奇跡はこうして起こった―あの事件・事故で生死を分けた』二見書房 1995年の取材記述より</ref>。
*自民党行革推進本部長として[[本州四国連絡橋]]、[[東京湾アクアライン]]、[[関西国際空港]]を20世紀末の三大バカ事業と酷評した。
*[[2003年]]、[[鹿児島市]]で行われた九州私立幼稚園研修会の討論会にて、[[早稲田大学]]の学生を中心とする[[イベント系サークル|アソビ系サークル]]「[[スーパーフリー]]」に参加していた女子大生が集団で暴行されていた事件について、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」という発言をし世間の大きな非難を浴びた。この発言は[[英国放送協会|BBC]]や[[CBS]]などにも取り上げられる事態となる。この発言が影響し、直後の[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]で、民主党の藤田一枝に敗れ、落選した。
*[[2007年]]1月13日、[[福岡市]]内での「新春の集い」にて、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の[[福島瑞穂]]を「[[極左]]系の弁護士であり、極左が国会議員になり、党の党首になっている」と批判した。これに対し社民党は「[[テロリスト]]のイメージをあおるような発言は許すことができない。社民党もテロ撲滅に向けて、全力を挙げている」と反論している。太田は挨拶で、新テロ対策特別措置法の成立を踏まえ「国際的テロに対し、[[西側諸国|西側]]の一員として戦う決意をはっきりさせたものだ」と強調している<ref>2008年1月14日毎日新聞</ref>。なお、福島も2006年1月15日の自身のブログにて自民党の一部が「[[極右]]勢力」であると批判していた<ref>[http://www.mizuhoto.org/03nikki/0601.html 福島みずほのどきどき日記(2006年1月)]</ref><ref>[http://s03.megalodon.jp/2008-0211-1050-22/news.www.infoseek.co.jp/society/story/20080115jcast2008215574/ 2008年1月15日J-CASTニュース(魚拓)]</ref>。
*[[福田康夫内閣 (改造) |福田康夫改造内閣]]にて[[農林水産大臣]]就任直後の[[2008年]][[8月10日]]、[[日本放送協会|NHK]]の『[[日曜討論]]』に出演した際、食の安全対策について問われ「日本国内は心配ないと思っているが、消費者がやかましいから徹底する」と発言し、批判を浴びた。自民党の[[麻生太郎]][[自由民主党幹事長|幹事長]]は「やかましい」は関西より西で使われる方言で「よく知っている」であるという意味だとの見解を示し、この発言を擁護したが、[[国立国語研究所]]のある研究員は、この「やかましい」発言は文脈上「詳しい」と解釈することはできないと指摘しているという<ref>『[[毎日新聞]]』2008年8月22日社説</ref>。
*[[三笠フーズ]]による[[事故米不正転売事件|汚染米流通事件]]に関して、「(汚染米で造られた)焼酎は製造過程で無害化されることもある」「(検出された農薬は)中国製ギョーザ事件のギョーザに比べて60万分の1の低濃度。人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だから、あまりじたばた騒いでいない」との見解を示した。
*2009年3月12日、「自民党政権下であるにもかかわらず、予算案の議決に賛成する与党でなく、反対している野党が大変優遇されている。どこかに不公正さがある」と発言。また「農相時代の私は東京後援会を通じて全部で二千数百万円。それなのに小沢氏はたった1社で二千数百万円だ」と発言した<ref>{{cite news
| url = http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20090312-470464.html
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| accessdate = 2010-01-16
}}</ref>。
*2009年8月3日、[[九州電力]]本社で開かれた激励会において、自分が苦戦している理由として「[[日本共産党|共産党]]にさえいられなくなった武装革命派を[[極左]]と呼ぶ。セクトに入って暴れたために[[報道機関|マスコミ]]しか採用されなかった人がマスコミの中枢にいるから、戦っている人を私が一生懸命応援し、連動している」と発言。真意を質した記者に「非公開の場での発言だからコメントしない」と答えた<ref>{{cite news
| url = http://www.asahi.com/politics/update/0803/SEB200908030052.html
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== 不祥事 ==
*2008年8月26日に、政治団体「太田誠一代議士を育てる会」が秘書官の自宅を事務所として届け、2005年・2006年の2年間、事務所費計約550万円を含め、合計約2,340万円の経常経費を計上していたことが発覚した。さらに8月27日、2000~2002年の3年間にも計2,483万円を計上していたことが分かった。2005、2006年分と合わせ、5年間の合計は4,823万円に上る。秘書官宅は普通の民家であったが、「落選中は議員会館が使えず、東京の活動拠点としてやむなく事務所を借りた」と説明している。この秘書宅は[[池田信夫]]の自宅の隣の家であり(大家でもある)、池田信夫が自身のブログで『「幽霊事務所」だったことは間違いない。』と記述している<ref>「[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b6f0c0ed2643495355eb0b89f8082e24 太田誠一氏の「政治団体事務所」は隣の家だった]」[[池田信夫]]ブログ2008年8月26日エントリ</ref>。
*太田が代表を務める自民党支部が、[[政党交付金]]から、太田の父親が[[代表取締役]]を努める[[福岡市]]の[[九州勧業]]に、[[1996年]]から11年間で家賃およそ3647万円を支払っていたことが明らかになった。太田自身も、[[2007年]]から大臣就任直前までこの会社の[[顧問]]を努めており、税金である政党交付金から収入を得ていたこととなる<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080830ddm041010108000c.html 太田農相:支部が親族会社に家賃支11年間、交付金で3647万円]毎日.jp 2008年8月30日 記事は掲載期間経過で削除</ref>。
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{start box}}
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{{農林水産大臣}}
{{総務大臣}}
{{DEFAULTSORT:おおた せいいち}}
[[Category:衆議院議員]]
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[[Category:1945年生]]
[[Category:存命人物]]
[[de:Seiichi Ōta]]
[[en:Seiichi Ota]]
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