「ロキシー・ミュージック」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
36行目:
"Best UK Male singer"部門ではフェリーが17位にランク。
 
その後彼らはデヴィッド・ボウイの"ジギー・スターダスト"英国ツアーのサポート・アクトの傍ら精力的にレコーディングなどを行い、73年3月には早くも2nd. albumとなる"For Your Pleasure"を発表。「男装の麗人」[[アマンダ・レア]]が登場したジャケットが話題となるとともに、"Gram noir"と形容された、よりダークかつ先鋭化した内容が注目を集め、英チャート上位に食い込む成功を収める。しかしこの頃既に、フェリーとともにバンドの創設からのメンバーだったシンプソンが脱退(1st.録音の段階で脱退していたという説もある。"Virginia Plain"のベースはリック・ケントン)しており、このアルバムでは後に[[スミス (バンド)|The Smiths]]を手がけるジョン・パンターがベースをプレイしている。なおこの後ロキシーは解散までレギュラーのベーシストを加入させておらず、ジョン・ガフタスン(73~75年)、[[ジョン・ウェットン]](75年頃)、リック・ウイリス(75年ツアー)、サル・メイダ(75年ツアー)、ゲイリー・ティッブス(78~80)、アラン・スピナー(79~83)、二ール・ジェイソン(80~83)といったミュージシャン達がかわるがわる参加している。
そして、ロキシーの音楽を考える上で、非常に大きな意味を持つメンバーチェンジがこのアルバムリリース後発表される。ブライアン・イーノの脱退である。
元々イーノは効果音・エフェクト担当という非常にファジーな位置のポジションであったが、当時の彼の人気は絶大で、フロントであるべきフェリーが「バンドに二人もブライアンは要らない」と言ってイーノをクビにしたとの説まであるが、真相がどのようなものであるにせよ、メンバー間の音楽・非音楽両面における軋轢はかない大きかったことが予想される。
バンドは元[[カーヴドエア]]のマルチプレイヤーである(キーボードとヴァイオリン)[[エディ・ジョブソン]]を加え、73年11月には3rd. album "Stranded"を発表。前2作の喧騒に溢れた未来派的なサウンドを薄める代わりに、ヨーロッパ浪漫主義的方向を指向しはじめる。実際「ノンプレイヤーのバンド」であったロキシーにあって確かな楽器の演奏技術を持つジョブソンの加入は大きな意味を持ち、この時期のロキシーはファンに非常に根強い人気を持っている。
同時期にフェリーが発表した1st. Solo albumである"[[愚かなり、我が恋|These Foolish Things]]" (邦題「愚かなり、我が恋」)で、ロック以上に濃厚に感じさせたスタンダードナンバーへの愛着といったノスタルジックかつアダルト向きな音楽嗜好が、イーノというある種の異物を排除した結果、ロキシーに反映されるようになったもので、同時に最初のロキシーに色濃く感じられた[[プログレッシブ・ロック]]的とさえいえる前衛性は薄れていく。
 
+++ 執筆中 +++