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1959年、[[東京放送合唱団]]を指揮してデビューする。1968年、[[東京フィルハーモニー交響楽団]]指揮者に就任する。1969年、[[文化庁]]派遣在外芸術研修員としてアメリカに留学し、[[ジョージ・セル]]のもとで研究して、1970年、[[クリーヴランド管弦楽団]]を指揮する。同年秋からは、[[東京バレエ団]]ヨーロッパ公演に招かれて[[ボリショイ劇場管弦楽団]]、[[ルクセンブルク放送交響楽団]]などのヨーロッパ各地のオーケストラを指揮する。傍ら、1966年から、[[日本オペラ協会]]と協力して、『山椒太夫』、『春琴抄』などの創作オペラを公演したり、[[日本音楽集団]]と協力して、[[三木稔]]、[[廣瀬量平]]の作品など、伝統に根ざした日本の新しい音楽を育てることに情熱を注いだ。
1974年、[[名古屋フィルハーモニー交響楽団]]の常任指揮者に就任し、同フィルを日本有数の地方オーケストラに育てた。また、東京リーダーターフェル、東京コールフェライン、福岡コールフェライン、福岡OBフィル、[[桐蔭学園]]第九オーケストラ、町田フィルハーモニー交響楽団、町田フィルハーモニー合唱団など、アマチュアの育成にも尽力する。1985年から毎年開催されている、一般公募された合唱団による[[国技館5000人の第九コンサート]]では、1988年、2004年、2007年の3回指揮を担当している。
海外演奏は、1970年以来、アメリカ合衆国、ソ連、フランス、スイス、ドイツ、東南アジア、エジプト、中国、南米、韓国に及んでいる。その他、[[ウィーン楽友協会|ウィーン楽友協会ホール]]、[[シドニー・オペラハウス]]、[[コンセルトヘボウ|アムステルダム・コンセルトヘボウ]]、[[シンフォニーホール|ボストン・シンフォニーホール]]、[[スメタナホール|プラハ・スメタナホール]]、[[パリ・マドレーヌ寺院]]などでも指揮を行っている。
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