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== 来歴 ==
[[2000年]]5月18日にカナダでプロデビュー。無敗のまま[[2002年]]2月15日には全カナダ[[スーパーバンタム級]]タイトル王座を獲得。同年4月10日にはマイナータイトルながら空位の[[世界ボクシング基金|WBF]]世界[[バンタム級]]のタイトル王座を獲得し同年6月21日にはWBF王座を一度防衛した。3ヶ月後にはコモンウェルス全英イギリス連邦[[バンタム級]]王座の獲得に成功し、さらに[[2004年]]4月21日には空位の[[北米ボクシング連盟|NABF]]北米[[バンタム級タイトル]]王座を獲得した。
 
その後も勝利を重ね、初のメジャータイトル挑戦として[[2006年]]11月10日に[[イギリス]]で[[マイケル・ハンター]]と[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[スーパーバンタム級タイトルの]]王座決定戦を行う。5回KOで勝利し、王座獲得に成功した<ref>[http://boxon.jp/news/000946.php “カナディアン・キッド”敵地戴冠-IBF・J・フェザー級戦] ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年11月12日</ref>。
 
[[2007年]]7月14日、[[タカラニ・ヌドロブ]]([[南アフリカ]])と対戦し、9回レフェリーストップによるTKO勝ちで初防衛に成功した。
 
2007年10月27日、IBFパンパシフィック[[スーパーバンタム級]]王者[[ファーサン・3Kバッテリー]]([[タイ王国|タイ]])と対戦し、大差判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
 
[[2008年]]1月19日、リカルド・カルティー([[メキシコ]])と3回目の防衛戦を行い、強打のカスティーを裁き大差判定勝ち。3度目の防衛に成功。
 
2008年4月5日、フェルナンド・ベルトラン(メキシコ)と4度目の防衛戦を行い、フルマーク2人と1人は大差を支持し判定勝ち。4度目の防衛に成功した。
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[[2010年]]3月27日、IBF世界スーパーバンタム級王座決定戦で[[タカラニ・ヌドロブ]]と対戦し、12回判定勝ちで王座に返り咲いた。
 
2010年9月11日、ジェイソン・ブーシュと初防衛戦を行い、2-0の判定勝ち。初防衛に成功した。
 
[[2011年]]3月26日、[[南アフリカ]]にてタカラニ・ヌドロブと再戦し、
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2011年11月5日[[ケベック州]][[ペプシ]]コロシアムにてセバスチャン・ゴーチエと再起戦を行い、レフリーストップ寸前まで追い詰めらながら2-1の判定勝ちで辛くも逃げ切り、再起成功。
 
[[2012年]]9月22日、[[北アイルランド]][[ベルファースト]]にある[[:en:Odyssey Arena|オデッセイアリーナ]]にて、IBF世界スーパーバンタム級ランキング15位で、コモンウェルスイギリス連邦並びにIBFインターコンチネンタル[[スーパーバンタム級]]王者でジャッカルの異名を持つカイル・フランプトンと対戦し、6度倒され、TKO負け。王座獲得に失敗と同時に[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界同級ランキングから陥落し、IBFでは世界王座挑戦のチャンスを失った。
 
[[2013年]]2月5日、現役引退を発表した。