「フリオ・セサール・ミランダ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 3 件をウィキデータ上の (d:Q3046292 に転記)
編集の要約なし
4行目:
|realname=フリオ・セサル・ミランダ
|nickname=Pingo
|weight=[[フライバンタム級]]
|height=
|reach=
13行目:
|death_place=
|style=[[オーソドックス]]
|total=4048
|wins=3437
|KO=2729
|losses=59
|draws=12
|no contests=
|}}
 
'''フリオ・セサル・ミランダ'''('''Julio César Miranda'''、男性、[[1980年]][[5月19日]] - )は、[[メキシコ]]の[[プロボクサー]]。<br />第13代[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[フライ級]]王者。
 
== 来歴 ==
[[2000年]]8月19日、プロデビュー。
 
[[2008年]]5月17日、[[ゴメスパラシオ]]のアウディトリオ・センテナリオ・ゴメス・パラシオで行われた[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[フライ級]]王座挑戦者決定戦で[[オマール・サラド]]([[メキシコ]])と対戦し、5回1分57秒TKO勝ちで同級王者[[内藤大助]]の持つ[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[フライ級]]王座への指名挑戦権獲得に成功、サラドに初黒星を与えた。すでに指名挑戦者[[ポノムランクレック・クラティンデーンジム|パノムルンレック・クラティンデーンジム]]([[タイ王国|タイ]])がいる中での試合となり、2人目の指名挑戦者となった。
 
[[2009年]]4月24日、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[フライ級]][[暫定王座]]決定戦で[[ポンサクレック・ウォンジョンカム]](タイ)と対戦し、0-33(111-117、109-118、110-119)の判定負けを喫し王座獲得ならず。同試合出場失敗したことで内藤へ。尚、ミランダの指名挑戦権はこの試合に出場することが決定した時に消滅した。
 
2009年7月11日、[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級王座]]挑戦者決定戦で[[エリック・オルティス]](メキシコ)と対戦し、初回2分59秒KO勝ちで挑戦権を獲得した。
 
2009年11月20日、[[ヨハネスブルグ]]のウェンブリー・アリーナで行われた[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[フライ級]]王座決定戦で[[モルティ・ムザラネ]]と対戦し、12回0-3(111-117、111-117、111-118)の判定負けで王座獲得ならずに失敗した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.com/2009/11/blog-post_9748.html ドネアの後継王者にムザラネ IBFフライ級] ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月22日</ref>。
 
[[2010年]]641210 [[オマール・ナルバエスドゥランゴ州]][[ドゥランゴ (ドゥランゴ州)|ドゥランゴ]]の王座返上により空位となっていパレンケ・デ・ラ・フェリアで行われた[[世界国際ボクシング機構連盟|WBOIBF]]世界ラテンアメリカ[[フライ級]]王座決定戦に出場、対戦相手[[リッチファウスティラナム]]を5と対戦し、3回TKOに下し念願の世界勝ちを収め王座を獲得した。
 
2010年6月12日 [[オマール・ナルバエス]]の王座返上に伴い[[プエブラ州]][[プエブラ]]のセントロ・デ・コンベンシオネスで行われた[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[フライ級]]王座決定戦で[[リッチー・メプラナム]]と対戦し、5回2分41秒TKO勝ちを収め王座を獲得した。
 
[[2011年]]7月16日、[[ハワイ州]][[ホノルル]]のニール・ブレイズデル・センターで[[ブライアン・ビロリア]]と対戦し、0-3(110-117、113-114、113-115)の判定負けを喫し[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[フライ級]]王座の4度目の防衛に失敗、王座から陥落した<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2011/07/blog-post_3476.html ビロリア地元ハワイで2階級制覇 WBOフライ級] ボクシングニュース「Box-on!」 2011年7月18日</ref>。
 
[[2013年]]4月13日、[[ミチョアカン州]][[:es:Ciudad Hidalgo (Michoacán)|シウダー・イダルゴ]]のモヌメンタル・プラザ・デ・トロスで行われた[[世界ボクシング評議会|WBC]]アメリカ大陸[[バンタム級]]王座決定戦で[[ファン・ホセ・モンテス]]と対戦し、0-1(111-115、113-113、113-113)の判定で引き分けた為、王座獲得に失敗した。
 
2013年9月7日、[[ヌエボ・レオン州]][[:es:Ciudad Apodaca|シウダ・アポダカ]]で行われた[[世界ボクシング評議会|WBC]]アメリカ大陸[[バンタム級]]王座決定戦で元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[バンタム級]][[暫定王座|暫定王者]][[ウーゴ・ルイス]]と対戦し、0-2(114-114、113-115、113-115)の判定負けを喫しまたも王座獲得に失敗した。
 
その後、3回防衛するも、迎えた2011年7月16日、[[ハワイ]][[ホノルル]]ブレイズデンセンターにて
[[ブライアン・ビロリア]]と4回目の防衛戦を行うも、最大7点差を付けられ判定負け。王者から陥落した。
 
== 獲得タイトル ==
* 第13代WBO世界[[国際ボクシング連盟|IBF]]ラテンアメリカ[[フライ級]]王座(4回防衛)
* 第13代[[世界ボクシング機構|WBO]]世界[[フライ級]]王座(防衛3)
 
== 脚注 ==