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{{音素文字}}
'''[[音素文字]]の歴史'''(おんそもじのれきし)は、[[文字#系統|文字の歴史]]のはじまりから千年以上も下った[[古代エジプト]]に始まる。[[紀元前20世紀|紀元前2000年]]頃に、初めて独立した音素文字が出現した。これは、エジプトの[[セム族|セム人]]労働者が言語を表現するのに使ったもので、[[ヒエログリフ|エジプトヒエログリフ]]の表音的な部分から派生したものだった ([[ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字]]参照)。今日の音素文字のほとんどは、この文字体系の直系の末裔 (たとえば[[ギリシア文字]]、[[ラテン文字]]など) であるか、少なくともそれらのアルファベットに影響を受けて生まれて変化したものである<ref>{{Cite journal
| last = Himelfarb
| first = Elizabeth J.
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== 原シナイ文字碑文とセム系文字 ==
[[ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字|原シナイ文字]]と見られる碑文が、[[シナイ半島]]にあるトルコ石採掘共同体であったサラービート・ル・ハーディムで見つかっている。最初の記録は紀元前6世紀の探険家、アレキサンドリアのコスマス<!-- Cosmas of Alexandria -->によるものである<ref>McCarter, P. Kyle. "The Early Diffusion of the Alphabet", ''The Biblical Archaeologist'' 37, No. 3 (Sep., 1974): 54-68. page 56.</ref>。考古学者の[[Flinders Petrie]]([[:en:Flinders Petrie|en]])は1905年、古代エジプト期の<!-- active -->トルコ石採掘坑を発掘していた際に、サラービート・ル・ハーディムで、ある[[スフィンクス]]像を発見した。このスフィンクス像は現在では紀元前1500年頃のものと考えられている。スフィンクス像の片面に碑文があり、前脚の間からもういっぽうの面にかけては翻訳されたエジプトヒエログリフがある。<!-- One side of the sphinx had an inscription, and the area between the paws and the other side contained, in addition to more of these inscriptions, Egyptian hieroglyphs that were translated. -->これらの碑文を原シナイ文字としている。Petrieは、この文字資料<!-- script -->に含まれる記号は30に満たないので、音素文字である可能性があると考えた。また、書かれている言語が[[セム語]]である可能性もあると考えた。この採掘坑地域では[[カナン]] (現在の[[レバノン]]と[[イスラエル]]にあたる) から来たセム人が[[ファラオ]]の命によって作業に従事していた<ref>Robinson, Andrew, (1995). ''The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms'', New York: Thames & Hudson Ltd. pages 160-161.</ref>。
 
1915年<ref>McCarter, P. Kyle. "The Early Diffusion of the Alphabet", ''The Biblical Archaeologist'' 37, No. 3 (Sep., 1974): 54-68. page 56.</ref>、エジプト学者の[[アラン・ガーディナー]]([[:en:Alan Gardiner|en]])は、原シナイ文字の記号と絵文字的なエジプトヒエログリフの間に類似性を認め、エジプト語での記号と同じ意味になるセム語で記号に呼び名をつけた。この名前は[[ヘブライ文字]]の字の名前になる。ガーディナーの考えでは、紀元前2千年紀後半にはヘブライ人がカナンに住み付いていたのだから、類似がみられるのは当然であった。そしてガーディナーは、自身の仮定に基づいて碑文のひとつを翻訳した。この語は、母音を補って翻字するとバアラト (ba&#x02BF;alat) となる。バアラトは、シナイ地方での女神ハトホルのセム語での呼び名で、「女主人」を意味する<ref>Robinson, Andrew, (1995). ''The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms'', New York: Thames & Hudson Ltd. page 161.</ref>。
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=== セム系文字 ===
エジプトの[[ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字|青銅器時代中期の文字体系]]は、いまだ完全に解読されていない。とはいえ、これらの文字体系は、少なくとも部分的に (おそらく完全に) 音素的な文字体系のようである。最古の例は、エジプト中部で見つかった紀元前1800年頃の[[グラフィティ]] (落書き)([[:en:Graffito (archaeology)|en]])である<ref>{{Cite web
| url = http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/521235.stm
| title = World: Middle East Oldest alphabet found in Egypt
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| id = ISBN 4-87517-014-9
| pages = pp.29-32
}}</ref>。例を挙げると、ヒエログリフの''[[per (ヒエログリフ)|per]]'' (エジプト語で「家」) が''bayt'' (セム語で「家」) となっている<ref>McCarter, P. Kyle. “The Early Diffusion of the Alphabet.” ''The Biblical Archaeologist'' 37, No. 3 (Sep., 1974): 54-68. page 57.</ref>。ただ、これでセム語を表記するときに、それぞれの字形が[[頭音法]]の原則によって呼び名の最初の子音だけを表す純粋に音素的な文字体系であったのか、または祖先のヒエログリフのように複数の子音の連なりやさらには語をも表すことがあったのか、については、はっきりしていない。例えば、「家」の字形で ''b'' だけを表していた (''beyt''「家」の ''b'') のかもしれないし、子音 ''b'' と子音の連なり ''byt'' の両方を表せた (エジプト語でこの字形が ''p'' と ''pr'' の両方を表し得たように) のかもしれない。ともあれ、この文字体系から[[カナン]]の文字体系が派生する過程で、もっぱら音素だけを表すものとなり、もともと「家」を表していたヒエログリフが ''b'' だけを表すものとなった<ref>{{Cite book|和書
| first = ジョン
| last = ヒーリー
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=== ウガリト文字 ===
[[シリア]]の北海岸の[[ウガリト]] (現在のラス・シャムラ) の地で、原シナイ文字の時代の後の紀元前14世紀頃には音素文字が存在していたというたしかな証拠が見付かっている。<ref>Robinson, Andrew, (1995). ''The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms'', New York: Thames & Hudson Ltd. page 162.</ref>。ここで発見されたバビロニアの粘土板には、一千を超す楔形文字の記号が刻まれている。この記号はバビロニア語のものではなく、文字の異なりはわずか30である。およそ12の粘土板には、記号の一覧がある順序で刻まれており、この記号の順序は[[アラム文字]]、[[フェニキア文字]]、[[アラビア文字]]、[[ヘブライ文字]]で伝統的に行われていたものとほぼ一致する<ref>Millard, A.R. "The Infancy of the Alphabet", ''World Archaeology'' 17, No. 3, Early Writing Systems (Feb., 1986): 390-398. page 395.</ref>
 
=== フェニキア文字 ===
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{{seealso|原シナイ文字から派生した文字体系}}
 
この[[原カナン文字]]は、エジブト語の原型と同様、子音のみを表記する''[[アブジャド]]''と呼ばれる文字体系である。これまでに使われたことのある音素文字のほとんど全てが、その起源をたどると[[フェニキア文字]] (カナン文字の初期の形態) に行き着く。<!-- From it can be traced nearly all the alphabets ever used, most of which descend from the [[Phoenician alphabet|Phoenician]], an early version of the Canaanite script. -->{{要出典|date=2007年5月}}
 
[[アラム文字]]は、紀元前7世紀にフェニキア文字から発展してきたもので、[[ペルシア帝国]]の公用の文字体系ともなった。これは、近東からアジアにかけて<!-- 英語版原文では単に "of Asia" となっている -->使われている現代の音素文字ほとんど全ての祖であるようだ{{要出典|date=2007年5月}}。
* 現代の[[ヘブライ文字]]は、アラム文字の局地的な変種に起源を持つ (もともとあったヘブライの音素文字は[[サマリア文字]]として現存している) <ref>{{Cite book|和書
| first = ジョン
| last = ヒーリー
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}}</ref><ref>Robinson, Andrew, (1995). ''The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms'', New York: Thames & Hudson Ltd. page 172.</ref>。
* [[アラビア文字]]は、アラム文字から今日の[[ヨルダン]]南部の[[ナバテア文字]]を経た末裔である。
* 紀元後3世紀以降使われるようになった[[シリア文字]]は、[[パフラヴィ文字]]から[[ソグド文字]]を経て、北アジアの種々の音素文字へと発展した。[[突厥文字]]([[:en:Orkhon script|en]]) 他にも可能性があるとされているものは[[ウイグル文字]]、[[蒙古文字]]、[[満州文字]]などである。
* [[グルジア文字]]の起源ははっきりわかっていないとされるが、ペルシアのアラム文字の一族であるとされる。 (あるいはギリシア文字の可能性も考えられている。)
* アラム文字はまた、[[インド亜大陸]]の[[ブラーフミー系文字]]([[:en:Brahmic family|en]])の祖であることもほぼ間違いないとされている。これは、[[ヒンドゥー教]]や[[仏教]]とともに[[チベット]]、[[モンゴル]]、[[インドシナ]]、[[マレー諸島]]<!-- Malay archipelago -->へと広まった。([[中国]]と[[日本]]では、[[仏教]]を受容したものの、すでに独自の文字文化を持っていたのではないかと考えられている<!-- were already literate -->ため、従来の[[表語文字]]や[[音節文字]]を使いつづけた)
<!-- とりあえずコメントアウト
*The [[Hangul]] alphabet was invented in [[Korea]] in the 15th century. Tradition holds that it was an autonomous invention; however, [[Gari Ledyard]] suggests that portions of its consonantal system may be based on half a dozen letters derived from [[Tibetan script|Tibetan]] via the imperial [[Phagspa script|Phagspa alphabet]] of the [[Yuan dynasty]] of China. Uniquely among the world's alphabets, the rest of the consonants are derived from this core as a [[Distinctive feature|featural]] system.{{Fact|date=May 2007}}
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=== ギリシア文字 ===
ギリシア文字の字はフェニキア文字と同じ呼び名を持ち、両者の順序も同じである<ref>McCarter, P. Kyle. "The Early Diffusion of the Alphabet", ''The Biblical Archaeologist'' 37, No. 3 (Sep., 1974): 54-68. page 62.</ref>。しかし、ギリシア人はこの文字体系を[[アルファベット]]に変えた。ギリシア語は[[インド・ヨーロッパ語族]]に属し、セム諸語 (アラビア語、フェニキア語、ヘブライ語など) とくらべると、[[母音]]により重きを置くからである。このアルファベットでは、いくらか異なる2種の変種が発展した。ひとつは[[Cumae alphabet|西ギリシア型アルファベットないしはカルキス文字]]([[:en:Cumae alphabet|en]]) と呼ばれるもので、[[アテネ]]より西と[[イタリア]]南部で使われた。もうひとつの変種は[[History of the Greek alphabet|東ギリシア型アルファベット]]([[:en:History of the Greek alphabet|en]]) と呼ばれるもので、現在の[[トルコ]]で、またアテネで使われ、ついには他のギリシア語を話すすべての地域でこの変種が使われるようになった。もともとの文字は右から左へ書く横書きであったが、ギリシア人らは左から右に文字を書くようになり、右から左に書いていたフェニキア人らとは逆になった[http://phoenicia.org/alphabet.html]。
<!-- とりあえず外部リンクをコメントアウト。
To see the Greek alphabet's letters, visit [http://www.greek-language.com/alphabet/ the "Greek Alphabet" page at Greek-language.com].
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== フェニキア文字とギリシア文字の末裔たち ==
フェニキア文字は、アラム文字のほかに、[[ギリシア文字]]や[[ティフナグ文字]] (ベルベル語の文字体系) をも生み出した。エジプト語、ベルベル語、セム語では、母音に独立した文字があるとかえって読みづらくなったことだろうが、ギリシア語は[[形態論|形態]]的に大きく異なっており、母音文字がないのは不都合だった。しかしこれは、単純な方法で解決された。フェニキア文字の字の呼び名は子音で始まっており、この子音がその字の表す音になった。だが、その中にはかなり有声<!-- soft -->音でギリシア人には発音できないようなものもあったから、若干の字の始めには[[母音]]をつけて発音するようになった。この体系の基礎である[[頭音法]]の原理によって、その文字は母音を表すものになったのである。{{要出典|date=2007年5月}}たとえば、ギリシア人は声門閉鎖音や ''h'' 音を使えなかったので、フェニキア文字の ''’alep'' および ''he'' は、ギリシア文字の[[アルファ]]および ''e'' (後に[[エプシロン]]と呼び名が変わる) となり、{{IPA|/ʔ/}} および {{IPA|/h/}} ではなく、{{IPA|/a/}} および {{IPA|/e/}} の母音を表すことになった。これ<!-- this fortunate development -->によって調達できた母音はギリシア語の12の母音のうち6個だけだったので、ギリシア人は次に[[二重音字]]を作ったり字を変形したりした。たとえば ''ei''、''ou''、<span style="text-decoration:underline;">''o''</span> のようなものである (最後のものは[[オメガ]]となった)。文字がないことに眼をつぶることにしたものもある。長音の ''a'', ''i'', ''u''がそうである<ref>Robinson, Andrew, (1995). ''The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms'', New York: Thames & Hudson Ltd. page 170.</ref>。
 
そして、ギリシア文字は、現代ヨーロッパのすべての文字体系の起源となった。ギリシア語の初期西部方言のアルファベットでは、[[イータ]]が ''h'' のままとなり、[[古代イタリア文字]]や[[ラテン文字|種々のラテン系文字]]<!-- 用語要確認。[[Roman alphabet]]s -->を生み出した。東部方言では、イータは /h/ ではなく母音を表し、東ギリシア型アルファベットから派生した現代ギリシア文字その他の文字体系でも、母音のままである。こういった文字体系には[[グラゴル文字]]、[[キリル文字]]、[[アルメニア文字]]、[[ゴート文字]] (ただしギリシア文字とラテン系文字の両方から文字を採っている) がある。そしておそらく[[グルジア文字]]もそうである。<ref>Robinson, Andrew. The Story of Writing: Alphabets, Hieroglyphs & Pictograms. New York: Thames & Hudson Ltd., 1995.</ref> <ref>BBC. "The Development of the Western Alphabet." [updated 8 April 2004; cited 1 May 2007]. Available from http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/A2451890.</ref>
 
以上の解説によれば、文字体系の発展は単線的に進んだかのようだが、実際はもっと複雑である。たとえば、満州文字は西アジアのアブジャドから生じたものだが、朝鮮語のハングルからも影響を受けている。そしてこのハングルは、系統上は孤立している (従来の見かた) か、または南アジアのアブギダから生じたものである。グルジア文字は、アラム系文字から生じたものだが、その着想にはギリシア文字の影響が強く見られる。ギリシア文字は、その起源を最初のセム語アブジャドからエジプトヒエログリフにまで遡ることができるが、後に[[コプト文字]]でエジプト語を表記する際に[[デモティック|エジブト民衆書体]]を数文字<!-- half dozen -->採り入れている。さらに、[[クリー文字]] ([[アブギダ]]) の例がある。これは[[デーヴァナーガリー]]と[[ピットマン式速記]]の混成であるが、後者は系統上は孤立しているとはいえ、その起源はラテン文字の筆記体に遡れそうである。 {{要出典|date=2007年5月}}
<!--
===Development of the Roman Alphabet===
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[[原シナイ文字]]については、字の数も、その順序もわかっていない。その末裔たち、[[ウガリト文字]]には27の子音字、[[南アラビア文字]]には29の字があり、[[フェニキア文字]]では22字に減った。これらの文字体系の字の順序には2種類ある。フェニキア文字では ''ABGDE'' の順、南アラビア文字では ''HMĦLQ'' の順だった。ウガリト文字は両方の順序を保持していた。それぞれの文字体系から発展した文字体系でも、この順序が驚くほどよく保たれていることがわかっている。
 
字の呼び名は、フェニキア文字から発展した種々の文字体系でよく保たれていることがわかっている。このような文字体系としては[[サマリア文字]]、[[アラム文字]]、[[シリア文字]]、[[ヘブライ文字]]、[[ギリシア文字]]などがある。しかし、[[アラビア文字]]と[[ラテン文字]]では呼び名が変わってしまっている。字の順序は、ラテン文字、[[アルメニア文字]]、[[ゴート文字]]、[[キリル文字]]ではいくらか保たれているが、[[ブラーフミー文字]]、[[ルーン文字]]、アラビア文字では変わってしまっている (アラビア文字では、伝統的な''[[アブジャディ順]]''が残っていたり、再び使われるようになることもある)。{{要出典|date=2007年5月}}
 
下表に、フェニキア文字とそれから発展したいくつかの文字体系の概要を示す。
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|}
 
これら22の子音は[[北西セム語]]の音韻を表している<!-- account for the phonology of [[Northwest Semitic]] -->。[[原シナイ文字]]で再建された子音のうち、7つはなくなっている。歯摩擦音 {{lang|sem|ḏ, ṯ, ṱ}}、無声側面摩擦音 {{lang|sem|ś, ṣ́}}、有声口蓋垂摩擦音 {{lang|sem|ġ}}である。また、無声口蓋垂摩擦音と無声咽頭摩擦音 {{lang|sem|ḫ, ḥ}} の区別がなくなり、カナン文字では {{lang|sem|[[ḥet]]}} に統合されている。[[アラビア文字]]では、これらを表す字形上の変種が6つ加わっている ({{lang|sem|ś}} を除く。これは[[ゲエズ文字]]では {{lang|xx|[[Śawt|ሠ]]}} という独立した音素として残っている)。加わったのは
{{lang|sem|ḏ}} > {{lang|xx|[[ḏāl]]}}、
{{lang|sem|ṯ}} > {{lang|xx|[[ṯāʼ]]}}、
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{{lang|sem|ġ}} > {{lang|xx|[[ġayn]]}}、
{{lang|sem|ṣ́}} > {{lang|xx|[[ẓāʼ]]}}、
{{lang|sem|ḫ}} > {{lang|xx|[[ḫāʼ]]}} である (ただし、セム祖語の29の子音の再建には、アラビア語の知見が多く利用されていることに注意。詳細は[[セム祖語]]を参照)。{{要出典|date=2007年5月}}
 
== 字形上の系統から孤立している音素文字 ==
401行目:
現用されている音素文字で、字形から起源をカナン文字にたどれないものとしては、[[ターナ文字]]がある。この文字体系は、明らかに[[アラビア文字]]その他の実在の音素文字に範をとっているが、字をそれらの文字体系の[[数字]]から採っているという特異なものである。[[1920年代]]に[[ソマリ語]]のために考案された[[オスマニヤ文字]]<!-- 表記要確認 -->([[:en:Osmanya script|en]])は、ソマリアでは1972年までラテン文字とともに公用の文字体系であったが、子音の字形はまったくの独創によるもののようである。
 
今日では公的に用いられない文字体系<!-- alphabets that are not used as national scripts today -->のなかにも、字形上は孤立しているものが若干ある。[[注音符号]]は[[漢字]]から派生した表音文字である。インド東部の[[オル・チキ文字]]<!-- 表記要確認 -->([[:en:Santali alphabet|en]])は「危険」「集会所」などの伝統的な記号や、独自に作り出されたピクトグラムをもとにしているようである (オル・チキ文字での字の呼び名は、かつて現れた<!-- original -->音素文字と同様、それが表すものと音とが頭音法の原理で関連づけられているが、字が表す名前の「終わりの」子音や母音となる。 ''le''「こぶ」<!-- "swelling" -->は ''e'' を、''en''「脱穀」は ''n'' を表す)
 
古代世界では、刻み目<!-- tally mark -->で文字を表す[[オガム文字]]もあった。また、[[古代ペルシア]]帝国の碑文は、音素だけを表す楔形文字の文字体系で記された。その字形は特別に作られたもののようである。これらの体系はいずれも、「字形上は」世界のほかの音素文字から孤立しているが、それら先行する体系を参考に考案されたものである。{{要出典|date=2007年5月}}
 
== 別の媒体による音素文字 ==
書記媒体の移行によって、時に字形がまったく異なるものになったり、関連をたどることが困難になったりする。たとえば、楔形文字の[[ウガリト文字]]がセム人のアブジャドから派生したことは直ちには明らかでないが、それが実際に起こったことであろう。また、[[指文字]]はさまざまな言語の手書き文字の形から直接生まれたものである (イギリス指文字([[:en:Two-handed manual alphabet|en]])、フランス([[:en:French Sign Language|en]])、米国([[:en:American Sign Language alphabet|en]])の指文字はラテン文字の、インド指文字([[:en:Indian Sign Language|en]])は[[デーヴァナーガリー]]の<!-- とりあえずコメントアウト。
, and the [[Korean manual alphabet|Korean]] does Hangul
-->字形からそれぞれ生まれている)。しかし、[[点字]]、[[腕木通信]]<!-- [[semaphore (communication)|semaphore]] -->、[[手旗信号]]<!-- [[International maritime signal flags|maritime signal flags]] -->、[[モールス符号]]<!-- [[Morse code]]s -->では、字形になんの関連性もない<!-- essentially arbitrary geometric forms -->。たとえば、英語点字や腕木通信の字はラテン文字の[[アルファベット順]]から決められたが、字そのものの形は関係ない。現代[[速記]]も、字形に関連性がないようだ。ラテン文字から派生したものであっても、その出自を字形からたどることはできなくなってしまっている<!-- the connection has been lost to history. -->。{{要出典|date=2007年5月}}
 
== 注 ==
446行目:
* Robert K. Logan, ''The Alphabet Effect: The Impact of the Phonetic Alphabet on the Development of Western Civilization'', New York: William Morrow and Company, Inc., 1986.
* B.L. Ullman, "The Origin and Development of the Alphabet," ''American Journal of Archaeology'' 31, No. 3 (Jul., 1927): 311-328.
* {{Cite book/和書 | last=フィッシャー | first=スティーヴン・ロジャー | title=文字の歴史 | translator=鈴木晶 | publisher=研究社 | date=2005年10月 | year=2005 | id=ISBN 4-327-40141-2 }} (原著 {{cite book | last=Fischer | first=Steven Roger | title=A History of Writing | publisher=Reaktion Books Ltd. | year=2001 }})
</div>