削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
必然性のない箇条書きを文章化。指定と認定の区別。外国語表記の修正。
1行目:
'''三世観世喜之'''(さんせい かんぜ よしゆき、[[1935年]][[6月2日]] - )は、[[観世流]][[シテ方]][[能楽師]]。[[矢来観世家]]・観世九皐会四世当主。本名'''観世敬祐(かんぜけいすけ)'''。
 
3歳で[[観世喜之 (2世)|二世観世喜之]]の[[養子]]となり、同人に師事。父より観世九皐会を継承し、[[矢来能楽堂]]を中心に活動する。[[四番目物]]の起伏に富んだ演技や[[三番目物]]の緻密な舞を得意としている。「[[卒都婆小町]]」の演能により、[[2003年]]、平成14年度[[文化庁]][[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]優秀賞を受賞。[[2005年]]には平成16年度[[日本芸術院賞]]を受賞した。[[重要無形文化財]]「能楽」保持者(日本能楽会会員として総合認定)、[[社団法人]]観世九皐会理事長。
*3歳で[[観世喜之 (2世)|二世観世喜之]]の[[養子]]となり、これに師事。
*父より観世九皐会を継承し、[[矢来能楽堂]]を中心に活動する。
*[[四番目物]]の起伏に富んだ演技や[[三番目物]]の緻密な舞を得意としている。
*「[[卒都婆小町]]」の演能により、[[2003年]](平成14年度)[[文化庁]][[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]優秀賞。
*[[2005年]]、(平成16年度)[[日本芸術院賞]]受賞。
*[[日本能楽会]]会員(重要無形文化財総合指定)、
*[[社団法人]]観世九皐会 理事長
 
*[[1941年]](昭和16年) 6歳で父二世喜之の本名である武雄(たけお)を襲名
*[[1942年]](昭和17年) 7歳で初シテ「菊慈童」を舞う
*[[1954年]](昭和29年) 19[[ヴェニスネツィアヴィエンナーレ]]国際演劇祭に、日本能楽界初の渡欧能楽団として父二世観世喜之と参加。
*[[1981年]](昭和56年) 三世観世喜之を襲名
*[[1999年]](平成11年)10月「姨捨」披演