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ユリオ・コルベの先祖は[[ボヘミア]]からの移民であり<ref>川下(1994) 14頁</ref>、「コルベ」は[[ドイツ]]風の名前であったが、コルベは一生[[ポーランド人]]であるという意識を持っていた。[[ローマ]]の[[神学校]]で同級生に「ドイツ人」と言われて、顔は真っ赤になったといわれている<ref>リッチャルディー(2010) 60頁</ref>。
 
信心の面では、一家は聖母マリア信仰崇敬が強く、子供時代の[[聖母マリア]]の出現に強い影響を受けていた。後の母の回想では、彼は以下のように語っている。
{{quotation|私は聖母に私はどうなるのかと尋ねました。そのとき、聖母が白と赤の2つの冠を持ってやって来ました。そして、どちらの冠を喜んで受け入れるかお聞きになりました。白は純潔を保ち、赤は[[殉教者]]となることを意味していました。私は両方ほしいと言いました。<ref>{{lang|en|Darch, Burns. (2004) p.129}}</ref>}}