「宮崎県資産家拉致事件」の版間の差分

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== 事件のあらまし ==
オウム真理教は、次女と三女が信者である小林市在住の[[旅館]]経営者の男性の[[資産]]に目を付け、[[財産]]収奪のために[[誘拐]]する計画を立てた。事件当時、男性は所有する[[山林]]を小林市土地開発公社に約9200万円で売却し、そのうち約6400万円が分割されて振り込まれる予定であった。
 
1994年3月27日夜、三女が父親である旅館経営者に睡眠薬[[フルニトラゼパム|サイレース]]1ミリリットル入りの茶を飲ませ、[[井上嘉浩]]の手引きで[[東京都]][[中野区]]の[[オウム真理教附属医院]]に監禁した。オウム信者でない長女が異変に気づき、三女を問い詰めたところ、「オウムの附属医院に入院させた」と白状したため、附属医院に急行したが、旅館経営者は[[上九一色村]]の[[サティアン]]に移された。その間、三女は旅館経営者の[[銀行]][[預金口座|口座]]から支払い代金を引き出そうとするが、旅館経営者が事前に支払い停止措置を講じていたため失敗した。
 
旅館経営者は約5ヶ月間監禁されたが、オウム真理教に帰依する振りをし、財産を[[布施]]する意向を示したことで[[8月21日]]にようやく解放された。
 
[[9月26日]]、旅館経営者は自分を拉致した娘たちや教団の顧問弁護士である[[青山吉伸]]を[[告訴・告発|告訴]]した。教団では、組織犯罪であることを隠蔽するため、[[被害者]]の三女と附属医院の医師の間に恋愛関係があり、感情のもつれから生じた個人的な犯罪に仕立てることにした。そして、そのシナリオを丸暗記させた。[[裁判]]の結果、次女や三女、教団福岡支部長らに[[実刑判決]]が下った。
 
== 参考文献 ==