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さらに古田は球団に対し、当時の球団名「ヤクルトスワローズ」に「東京」を冠し、地域密着をアピールすることを提案した。古田は1990年代半ばから契約更改交渉の席などで球団幹部に対し「球団名に都市名か地域名を入れることはできないか」と提案を続けてきたものの実現には至らなかったが、球団もF-Projectの立ち上げを機に協力することを決定。球団名を「東京ヤクルトスワローズ」と変更した(同年[[12月19日]]のプロ野球実行委員会で承認)。なお、球団名に「東京」を冠していた球団は過去に例があり、戦前の[[読売ジャイアンツ|東京巨人軍]]、[[翼軍|東京セネタース]]、[[松竹ロビンス|大東京軍]](いずれも消滅)、戦後の[[千葉ロッテマリーンズ|東京オリオンズ]]の4球団。東京オリオンズは1969年を最後に「ロッテ」に改称したが、東京ヤクルトはそれ以来37年ぶりに「東京」を冠する球団となった。また、これを機に神宮球場がある[[明治神宮外苑]]周辺の[[新宿区]]、[[港区 (東京都)|港区]]、[[渋谷区]]の3つの[[特別区]]をホームタウンと位置づけ、「スワローズタウン(ヤクルトタウン)」と銘打って地域密着活動を行う方針も決定した。もっとも、ヤクルト本社や全国のヤクルトの販売会社からは「東京偏重」と反対意見が出たという<ref>[http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20090910/bbl0909101622003-n2.htm ヤクルト“転地”より“人” 新潟がプロ野球の球団誘致 2009.09.10付ZAKZAK]</ref>。
このF-Projectが立ち上げられた背景には、ヤクルトの主催公式戦の観客動員数が慢性的に減少していたという事実がある。14年ぶりのリーグ優勝を果たした[[1992年]]には2,477,000人を集めたが、以後は徐々に減少。2005年から動員数は
また、神宮球場でのデーゲーム開催数を増やす方針も打ち出された。神宮球場は学生野球([[東京六大学野球連盟]]、[[東都大学野球連盟]])公式戦のスケジュールが優先されているため、ヤクルト主催公式戦は4月初旬の週末を除き、ほとんどがナイター開催となっていた。だが2005年から球団は学生野球側と積極的に折衝を行うようになり、デーゲームの開催数が増加。学生野球がシーズンオフになっている6月にもデーゲームが開催されるようになった。さらにF-Projectの活動開始に伴って折衝が行われた結果、2006年には東都リーグに割り当てられていた[[5月3日]]・[[5月4日]]のデーゲーム枠を取得(代わって東都はナイター開催)、集客力の高いゴールデンウイークのデーゲーム開催を実現した(神宮球場の使用権については[[明治神宮野球場#優先使用権]]も併せて参照)。
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