削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Tamie (会話 | 投稿記録)
19行目:
やがて後進ギヤを内蔵した[[差動装置]]を持ったものも作られるようになったが、スクーターの遠心式自動[[クラッチ]]との相性は極めて悪く、不用意に(つまりクラッチが完全に切れる前に)[[シフトレバー]]を操作すると、ギヤが破損しやすいという問題があった。走行中にギヤの噛合いが外れる不具合(いわゆるスッポ抜け)が解消困難な車両もあるなど、おしなべてメカニズムの完成度は低かったものの、原付免許で乗れたことが普及を後押しした。
 
しかし、法定速度30km/hという制約のため交通の障害になる上、運転技能不足による事故が多発したことを受けて[[1985年|1985年(昭和60年)]]2月15日に道路交通法施行規則が改正され、普通自動車として扱われることとなった。これにより普通自動車運転免許が必要となる<ref>移行時に、[[1984年]](昭和59年)9月10日の総理府令第46号に基づいてミニカー[[限定免許 (運転免許)|限定免許]]の試験が、[[運転免許試験場]]において6か月間だけ行われた。1985年2月13日以前の自動二輪免許でも不可である。</ref>代わりに法定速度は60km/hとなったが、原動機出力の低いミニカーには到達しにくい速度であり、操縦安定性やブレーキの[[信頼性]]も、そのような高速走行に対して十分とはいえない車両が多かったのが実態である。サスペンション設計が稚拙なため、まっすぐ走ることさえままならない車両も存在したのである。多くはスクーターのワイヤー式ブレーキを流用していたのに対し、一部の車両は制動力を増すために[[油圧]]式ブレーキを採用していたが、全輪が1系統の配管となっていて、1か所でも油漏れが起きると、ブレーキが全く効かなくなるという、安全性を軽視した構造の車両もあった。ミニカーには車検がなく、ブレーキ系統の健全性を点検する機会もほとんどないので、これは極めて危険であると言わざるを得ない。
 
制度変更によって普通免許が必要になると、実技試験なしで乗れる簡便な交通手段としての魅力が失われて販売台数が激減、早々に撤退するメーカーもあって、[[市場]]は急速にしぼんでいった。しかしその後、環境的な観点や、[[車椅子]]や[[シニアカー]]以上の機動力を望む障害者や高齢者の足として、交通手段の毛細血管的役割としての存在が見直されつつある。車椅子のまま搭乗して運転することができるミニカーも製造販売されている。