削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
38行目:
機首にインテークを持ち、やや高めの低翼配置となった主翼は水平尾翼よりも若干上の位置に配置されている。この配置により、若干遅れて開発された[[F-101 (戦闘機)|F-101]]や[[F-104 (戦闘機)|F-104]]で問題となったピッチアップのような悪癖が無く、後年の戦闘機設計の範となった。固定武装として機首下面に20mm機関砲4門を装備。[[空中給油]]能力は当初保持していなかったが、F-100Cからは受油プローブが増設された。改良によって対地攻撃能力が強化されていき、決定版となったF-100Dは[[アビオニクス]]の更新などにより本格的な戦闘爆撃機に仕上がった。このF-100Dの改良型であるF-100Eは計画のみに終わり、最終型となったのは複座[[練習機]]型F-100Fであった。
 
初期型には原因不明の空中分解事故が相次ぎ、1954年10月12日にはノースアメリカン社チーフテストパイロットの[[ジョージ・ウェルチ]]による急降下試験中に空中分解し墜落、ウェルチは死亡した。原因は[[ピッチング|ピッチ]]と[[ヨーイング|ヨー]]の合成力が尾翼の許容範囲を超えて起こるロール・カップリング現象で、高速で急降下中に急激な引き起こしを行うと機首が右に振られ操縦不能に陥ってしまうのである。改善のため空軍は同年11月から翌年2月まで飛行停止措置を行い、垂直尾翼面積の27%拡大および主翼の延長などの改修を行ったが、その後も同様の事故が発生し続け、完全に解決したのは主翼構造の不具合が判明した[[1960年代]]後半と、既に性能が陳腐化していた時期だった。
 
構造材として、従来の[[アルミニウム]]合金よりも多くの面で優れている[[チタニウム]]合金を採用したのも本機の特色である。1953年〜54年にかけてのアメリカ合衆国のチタン生産量の80%が本機に使われたという。