「荒谷俊治」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
38行目:
1974年、[[名古屋フィルハーモニー交響楽団]]の常任指揮者に就任し、同フィルを日本有数の地方オーケストラに育てた。また、東京リーダーターフェル、東京コールフェライン、福岡コールフェライン、福岡OBフィル、[[桐蔭学園]]第九オーケストラ、町田フィルハーモニー交響楽団、町田フィルハーモニー合唱団など、アマチュアの育成にも尽力する。1985年から毎年開催されている、一般公募された合唱団による[[国技館5000人の第九コンサート]]では、1988年、2004年、2007年の3回指揮を担当している。
海外演奏は、1970年以来、アメリカ合衆国、ソ連、フランス、スイス、ドイツ、東南アジア、エジプト、中国、南米、韓国に及んでいる。その他、[[ウィーン楽友協会|ウィーン楽友協会ホール]]、[[シドニー・オペラハウス]]、[[コンセルトヘボウ|アムステルダム・コンセルトヘボウ]]、[[シンフォニーホール|ボストン・シンフォニーホール]]、[[スメタナホール|プラハ・スメタナホール]]、[[マドレーヌ寺院|パリ・マドレーヌ寺院]]などでも指揮を行っている。
2003年2月7日から、[[山田耕筰]]、[[齋藤秀雄]]、[[朝比奈隆]]に次ぐ第4代[[日本指揮者協会]]会長を務めた。
|