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岡本太郎の芸術観は、パリ滞在時代に参加した美術団体[[アプストラクシオン・クレアシオン]]協会に所属している間に醸成されたと考えるべきである。特に、[[ジャン・アルプ]]とは親しく、芸術観も近似していた。[[ニューヨーク近代美術館]]の[[アルフレッド・バー・ジュニア]]は1936年に刊行した図録"Cubism and Abstract Art"において、抽象芸術を「幾何学的抽象」と「非幾何学的抽象」の2通りに分類し、「非幾何学的抽象」は不純であるとして否定的であった。バー・ジュニアによるこの言説には多々問題があるものの世界的な影響力があった。この観点から考えると、アルプや岡本太郎らは「非幾何学的抽象」に属することとなり、彼らには不都合であった。第2次大戦後、岡本が「対極主義」なる主張をせざるを得なかったのは、自らを「非幾何学的抽象」と称する訳にはいかなかったからであろう。ちなみに、バー・ジュニアの当該図録には有名な近代美術の系統図が掲載されているが、これを岡本は著書『画文集・アヴァンギャルド芸術』(月曜書房1948年)に翻訳して掲載している。もっとも、「非幾何学的抽象」と記す代わりに「シュルレアリスム」と改変している。後年、岡本は「対極主義」を主張し反弁証論主義などを謳ってはいるが、「対極主義」とは、本来は「非幾何学的抽象」への反論であったと考えるべきであろう。言論先行で生まれた主義主張ではないことに、もっと留意されるべきである。
 
岡本太郎が生涯にわたって制作した作品を個人様式として精査すると、1930年代のパリ時代の作品から1950年代末ころまでの作品群には、第2次世界大戦を挟みながら、緩やかな様式変遷は確認できるものの、様式上の断層のようなものは認められない。一方、岡本の個人様式として明確な断層が確認できるのは、1960年代に台頭するカリグラフィックな形式の作品(《風神》や《赤のイコン》など)や非具象的な形式の作品(《具現》や《想念》など)においてである。為政史上の画期と美術様式上の画期とが必ずしも一致しないことは、芸術史においてはむしろ恒常的なことであることにも、もっと留意されるべきである。
 
著書「今日の芸術」の中で、「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」と宣言している。これは手先の巧さ、美しさ、心地よさは、芸術の本質とは全く関係がなく、むしろいやったらしさや不快感を含め、見る者を激しく引きつけ圧倒する事こそが真の芸術と説いている。