「トルコ風呂 (性風俗)」の版間の差分

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[[1981年]]〜[[1983年]]に[[東京大学]]に留学していたトルコ人[[留学生]]、[[ヌスレット・サンジャクリ]]も「トルコ風呂」の名称にショックを受けた一人である。再来日した1984年8月に当時の[[厚生省|厚生大臣]]である[[渡部恒三]]に「トルコ風呂」の名称変更を直訴するなど、改名運動を行った<ref name="shimokawa">下川耿史『男性の見た昭和性相史』part4(第三書館, 1993年11月)、178-179頁</ref>。また、1983年まで[[新宿区]]に「大使館」という店があり、そこが[[ハローページ|50音別電話帳]]に「トルコ大使館」と掲載されていたため、本物のトルコ大使館が抗議したこともある<ref>「朝日年鑑1985」ISBN 4022200855 p.300。</ref>。
 
この運動は[[小池百合子]](後に[[政治家]])の協力を得て、日本の[[マスメディア|マスコミ]]にも大きく取り上げられた。その結果、同年10月に[[横浜市]]の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、[[愛知県]]と[[神戸市]]でも横浜に続いて「トルコ風呂」の名称が撤廃された<ref name="shimokawa"/>。しかし、代わりとなる名称が決まらず、暫定的に「特殊浴場」「特浴」「湯房」などの名称が使われた<ref name="shimokawa"/>。東京都特殊浴場協会は新しい名称を一般公募し、同年12月19日に[[赤坂プリンスホテル]]で会見を行い、新たな名称である『'''[[ソープランド]]'''』を発表した<ref name="shimokawa"/>。2,400通以上の募集があり、最も多かった名称は「ロマン風呂」「浮世風呂」だった<ref name="shimokawa"/>。このほか、「コルト」「ラブリーバス」「オアシス」「ロマンス風呂」「ラブユ」などの名称が提案された<ref name="shimokawa"/>。
 
以降、性風俗店を意味する「トルコ風呂」「トルコ」の呼称は(基本的に)公的に使われる事がなくなり、発表済みの[[小説]]や[[漫画]]作品などにおいては文章やセリフの削除もしくは「ソープランド」「ソープ」等への修整が行われた。しかし、性的なイメージと離れた「ソープランド」の名称に当初は反発する声もあった<ref name="shimokawa"/>。これらの風俗店で性的なサービスに従事する女性を指す名前も、「トルコ嬢」から「ソープ嬢」「ソープレディ」に改められたが、新しい名前は馴染みが薄いために「ホステス」「コンパニオン」の名前が使われることもあった<ref name="shimokawa"/>。