「オウム真理教の兵器」の版間の差分

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== 核兵器 ==
; ウラン型[[原子爆弾]]
: [[1993年]]頭に、[[麻原彰晃]]が[[核兵器]]の研究を科学技術省所属で[[村井秀夫]]の部下の[[野田成人]]に命じ、開発を開始した。核兵器に必要な[[ウラン]]を入手すべく、[[早川紀代秀]]は、1993年4月から5月にかけて、約10日間にわたってオーストラリアを訪問し、ウラン採掘計画の事前調査をしている。日本国内ではウラン鉱脈があることで知られる岐阜県[[人形峠]]の調査を行い、[[中田清秀]]が、ロータス・ビレッジ建設のめという名目で土地の取得に動いたものの地元の反対にあって頓挫している。この土地取得の真の狙いはウラン採掘のためだったと考えられている。

: 1993年に[[オーストラリア]]の[[パース (西オーストラリア州)|パース]]から北東へ700kmの内陸部、[[バンジャワン]]([[東京都]]ほどの広さ)という、有望なウラン鉱脈がある可能性の高い地域の、牧場(牧羊地)を、「人目につかない静かな土地が欲しい」という条件で、現地で不動産業を営んでいた日本人女性(女性は、交渉相手として麻原・野田・[[早川紀代秀]]の名を証言)の仲介により、約4000万円で購入した。同年9月、麻原他20名程(出家信者10名近く、村井・野田ら科学班10名程)の一行が視察のため観光名目でパースから入国した際に、劇薬(中身は[[塩酸]]など)や掘削機(コベルコ([[神戸製鋼]])のミニ[[ユンボ]]2台)や発電機や実験器具などを持ち込んでいたことが判明、これらはほとんどが[[税関|現地当局]]によって没収され、この時は罰金50万円を支払い入国した。その後、小型飛行機2機をチャーターし、上記女性の案内で同地に向かった。同地では[[ガイガーカウンター]]を用い、土地を調査した。掘削機などは現地で約2000万円で調達し直された。核兵器の開発責任者は科学技術省幹部の[[豊田亨]]であり、同地に、科学班が集められ、「豊田研究所」という研究施設が開設され、核兵器の開発([[硝酸]]や大量の[[バッテリー]]などを用いたウラン鉱石の精錬工程の実験と推測される)が行われた。その後、教団により、研究施設は閉鎖され、撤収の際([[1995年]][[3月20日]]の[[地下鉄サリン事件]]直後に撮影された、もぬけの殻の研究施設の映像が残されているので、撤収はそれ以前)、証拠物件は埋められたり焼却されたりして隠滅された。同地は教団により2400万円で現地のある牧場主に売却された。
 
: なお、[[ウラン濃縮]]は濃縮設備そのものの設備投資は安くすむが、大変高度な技術力と大規模な設備とそれを稼動させるために都市一個分にも匹敵する莫大な電力が持続して必要とされる。オウム程度の規模と技術の団体では、たとえウラン鉱石を入手できたとしても、濃縮は不可能である。それ以前にウランを[[日本]]に[[輸送]]する手段すらも無かったと思われる。