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明治40年3月9日、総武牧場株式会社が建設する松戸競馬場は粗末な施設ながら完成し、明治40年7月、松戸で競馬を行う公益法人として総武競馬会が認可・設立される<ref name="jra1968 449-450"/><ref name="ooe2005 135-139"/>。認可された総武競馬会は同年9月、明治40年春場所として競馬を開催する<ref name="jra1968 449-450"/>。9月なのに春場所としたのは、当時、競馬は年2場所(春・秋)各4日間開催されるものだったからである。9月の初開催を春場所だとすれば、明治40年秋場所としてもう一回競馬を開催できる<ref name="jra1968 58-59">[[#日本中央競馬会1968|日本中央競馬会1968]]、58-59頁。</ref>。総武競馬会は認可を受けるに当たって事業目的を「競馬の開催並びに付帯事業として馬術練習所を開設し博く会員を募集し馬事思想の普及を図る」としたため、明治40年1月に向島に1200坪の土地を買って馬術練習所を設けている<ref name="jra1968 449-450"/>。
==松戸競馬の開催(総武競馬会時代)==
記念すべき松戸競馬の初回(明治40年春場所)は明治40年9月22,24,29,30日の4日間行われた。4日間の総レース数は40レース。馬は内国産抽籤新馬が24頭、豪州産抽籤新馬が8頭、内国産馬45頭、豪州産抽籤馬が14頭の合計で91頭。第二回目となる明治40年秋場所は明治41年1月、第三回目の明治41年春は明治41年6月、総武競馬会として最後になる明治41年秋は10月の2,3,4日に行われている。総武競馬会明治41年秋場所終了直後に馬券発売は禁止される。松戸競馬終了直後のタイミングで馬券禁止されたことについては諸説あるが安田伊左衛門が言うには、実は馬券発売は秋場所直前の10月1日に禁止される予定だった。しかし、ガラが悪いことで知られる松戸競馬開催の前日に馬券を禁止したら騒動になると政府は恐れて松戸競馬秋場所が終わるまで通達を待ったという<ref name="lub1 511"/>
 
帝国鉄道庁は松戸競馬の開催日には定時運行に加え上野-松戸間に臨時列車も運行した。増便本数は午前の上野発松戸行きが4本、午後の松戸発上野行きが3本である<ref name="asahi19080110">[[#東京朝日新聞|東京朝日新聞]]明治41年1月10日1面</ref>。
==不正の横行と新聞による糾弾==
総武競馬会時代(馬券黙許時代)の松戸競馬は様々な不正が行われたと噂され、騒動が持ち上がり、マスコミの糾弾を受けている。
===競馬会の不正===
松戸競馬の不正として報じられた不正はマスコミには多種多様な手口が書かれている。第一回開催では馬券の記載が暗号ペンチというもので印をつけただけなので馬券を買った観客には記載内容がわからない。観客が買った馬券が当たったので払い戻しを受けに行くと馬券の記載がその馬券は違う馬の物だと言って払い戻しを拒否したという<ref name="asahi19080112">[[#東京朝日新聞|東京朝日新聞]]明治41年1月12日4面</ref>。
 
明治41年の開催では馬券には開催日、レース回数、馬番が明記されるようになった<ref name="matudosisi333">[[#松戸市史下巻 第2 (大正・昭和編)|松戸市史下巻 第2 (大正・昭和編)]]、333頁</ref>が、競馬会の人間が発売締め切り後にこっそりと馬券をポケットに入れ(売れてもいない馬券が売れたことにする)、あるいは競走が始まってから形勢を見て勝ちそうな馬の馬券を競馬会の人間が買うといったことも行われたという。いずれの手口でも馬券を買った観客には払い戻し額が正規の計算より低額になるわけである<ref name="hotta73-74">[[#堀田1937|堀田1937]]、73-74頁</ref>。
 
これらの不正に観客が事務所に抗議に行くと競馬会は雇ったゴロツキを使ってこれを封殺したという<ref name="asahi19080112"/>。
===観客の加熱===
明治の日本では一切の賭博は禁止され、わずかに横浜でのみ例外的に馬券が売られている状況で、一気に全国で無制限の馬券を伴う競馬が開催され出したのである。賭博というものに免疫のなかった日本人は一気に賭博の「興奮と熱狂」につつまれていった。仕事を放りだして競馬場に通い詰める者が続出し、身の丈を超えて多額の馬券を買って破産し娘を売る者、店の金に手を付ける者、泥棒に及ぶ者、競馬で財産を失って首を吊る者が現れた<ref name="tachikawa1991 60-63">[[#立川1991|立川1991]]、60-63頁。</ref>。松戸に限ってもニューヨーク生命保険会社日本支店社員が会社の金を持ち出して松戸競馬で使い果たす<ref name="asahi19080118">[[#東京朝日新聞|東京朝日新聞]]明治41年1月18日6面</ref>、三越の店員が回収した売掛代金を松戸競馬で使い果たして逮捕される<ref name="asahi19080727">[[#東京朝日新聞|東京朝日新聞]]明治41年7月27日6面</ref>などの事件が起こる。
==馬券の禁止==
これらの競馬会の不正や観客の混迷は松戸ばかりではなく、程度の差こそあれこの時期の競馬場のほとんどで噂され、馬券発売を伴う競馬にはマスコミの糾弾が行われている。議会でも馬券に関しての追及が行われ
 
総武競馬会明治41年秋場所終了直後に馬券発売は禁止される。松戸競馬終了直後のタイミングで馬券禁止されたことについては諸説あるが安田伊左衛門が言うには、実は馬券発売は秋場所直前の10月1日に禁止される予定だった。しかし、ガラが悪いことで知られる松戸競馬開催の前日に馬券を禁止したら騒動になると政府は恐れて松戸競馬秋場所が終わるまで通達を待ったという<ref name="lub1 511"/>。
==松戸競馬場のデータ==
{|class="wikitable"
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|秋
|4
|明治41年1月11,12,18,19
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|style="text-align:right"|29,7250
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*{{Cite journal|和書