「アガサ・クリスティ」の版間の差分
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m オリエント急行、イスタンブール、バグダード、ユネスコ、中東、大英勲章にリンク。20世紀始め→20世紀初めに訂正。 |
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三人兄弟の末っ子で、10歳近く年の離れた姉と兄がいた。しかし年頃の姉マーガレットは寄宿学校におり、長兄モンタントは[[パブリックスクール]]を退校して軍に入隊していたために幼少期を共にする機会が少なく、専ら両親や使用人たちと過ごした。
父フレデリックは[[アメリカ人]]の事業家だが商才に乏しく、祖父の残した遺産を投資家に預けて、自身は働かずに暮らしていた。母クララは父の従妹で、少々変わった価値観を持つ「変わり者」として知られていた。母の特異な性格はアガサや家族の運命に少なからぬ影響を与えたが、フレデリックは
少女時代のアガサは兄や姉のように正規の学校で学ぶことを禁じられ、母親によって直接教育を受けた。母クララの教育に対する不思議な信念は大きな影響を幼いアガサに与えた。例えばクララは「'''7歳になるまでは字が書けない方が良い'''」となぜか信じており、アガサに字を教えなかった。実際アガサは一般の子供より識字が遅く、父がこっそり手紙を書く手伝いをさせるまで満足に文字を書けなかった。変則的な教育は
同年代の子供がパブリックスクールで教育を受ける間、アガサは学校に入ることを許されなかった。同年代の友人のいないアガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人との一人遊びをして過ごし、内気な少女に育っていった。一方で父の書斎で様々な書籍を読み
===小説家===
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初期の作品は『[[ビッグ4]]』や『秘密機関』など国際情勢をテーマにした作品があったりドイツや日本が関係するなど国際情勢に関する話が多い。冷戦時代はソ連のスパイも話題に上っている。
知日家という話はないが多くの長編小説でわずかに日本について触れられている。ストーリーにはほとんど関係のない物ばかりだが「着物」(『オリエント急行の殺人』)や「力士」(『[[ゴルフ場殺人事件]]』)などの単語がたびたび登場する。また、『アクロイド殺し』では「[[麻雀]]」が登場する。
そのファンからなるアガサ・クリスティ協会によると、彼女の作品は英語圏を越えて全世界で10億部以上出版されている。[[聖書]]と[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の次によく読まれているという説もあり、[[ユネスコ]]の文化統計年鑑(1993年)では「最高頻度で翻訳された著者」のトップに位置している。[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]は「史上最高の[[ベストセラー]]作家」に認定している。日本でも早くから紹介され、[[早川書房]]はクリスティー文庫としてほぼ全ての作品を翻訳している。
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== 失踪事件 ==
アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んでいたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅を
なぜ失踪したのかについては諸説あり伝記作家の間でもこの件については
キャリアにおいては『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には別に恋人がいた事実にアガサは傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先を告げずに外出する
▲事件に戻ると、当時のアガサはロンドンの金融街で働いていた年下の夫のアーチー、一人娘のロザリンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。アーチーは休日はゴルフに熱中しているが、妻はゴルフはせず家事はメイドを雇い、仕事に関しては秘書のシャーロットを住まわせていた。シャーロットはアガサの信頼を得て長く彼女の側で勤めることになる。
▲キャリアにおいては『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には別に恋人がいた事実にアガサは傷つけられていた。事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先を告げずに外出する旨を伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。
なお、この失踪事件を題材に独自の解釈でアガサをめぐる人間模様を描いた映画『[[アガサ 愛の失踪事件]]』が[[1979年]]に公開された。
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