「スクウェア (ゲーム会社)」の版間の差分

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『ファイナルファンタジー』のヒットは同社に多大な利益をもたらした。一時期の事業不振で[[銀座]]<!--ちなみに[[豊田商事]]が入っていたビルをまるごと借りていた-->から[[御徒町]]の雑居ビルへの移転を余儀なくされていた同社が、再び[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]に本社を構えられるようになったのも『ファイナルファンタジー』シリーズのヒットによるものといわれている。『ファイナルファンタジーII』の発売と前後する時期、[[代々木]]で『ファイナルファンタジー』の[[キャラクターグッズ専門店|グッズショップ]]を展開した。このショップではスクウェアからライセンスを得て各社が発行していた出版物等の他、イメージイラストを使用した[[マグカップ]]等オリジナルグッズも扱っていた。<!--余談だがこのショップの閉店後、その空いたテナントには僅かに遅れてショップ運営を開始した[[日本ファルコム]]の[[ファルコムショップ]]が入る事となる。-->。
 
[[1996年]](平成8年)、『[[トバルNo.1]]』で[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]に参入。この件に加えて、デジキューブ設立に絡み任天堂と絶縁状態になり、当時の山内社長に[[携帯型ゲーム|携帯ゲーム]]業界でのソフトリリースを「死んでもさせるつもりはない」とまで言われて断られるほど険悪な関係に陥った。そんな絶縁状態の中で一方、[[1999年]](平成11年)に[[バンダイ]]から発売された、任天堂[[ゲームボーイ]]のライバルとなる携帯ゲーム機[[ワンダースワン]]に参入、ソフトを積極的にリリースし、同機種の売り上げに貢献かし、ゲームボーイの牙城は崩すことはできなかった。なお、2002年(平成14年)には和解して任天堂のゲーム機で再びソフトをリリースしている。
 
[[2000年]](平成12年)5月、武市智行社長に変わって[[鈴木尚 (ゲームクリエイター)|鈴木尚]]副社長が社長となる。