「日本の仏教」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
79行目:
豊臣秀吉の死後に権勢を掌握した[[徳川家康]]は、[[寺院諸法度]]を制定し、[[寺社奉行]]を置き、仏教を取り締まった。さらに人々を必ずいずれかの寺院に登録させるようにし([[寺請制度]])、布教活動を実質的に封じた。当時最大の仏教勢力であった浄土真宗の本願寺に対しては、お家争いにつけ込んで東西に分裂させ、結果的に勢力を弱体化させることもした。
また、[[1665年]]に江戸幕府は[[寛文印知]]と[[諸宗寺院法度]]の制定を行い、仏教寺院に寺領を安堵する一方で更なる統制([[檀家制度]])を行い、[[江戸幕府]]が日蓮の教義を信じない事を理由に従う事を拒絶した日蓮宗の一派の不施不受派は、[[禁教令]]の[[キリスト教]]と同様に厳しい弾圧を受けた<ref>高埜利彦『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館、2014年、P394-397</ref>。
[[1654年]]に来日した明の[[隠元隆き|隠元隆琦]]は[[黄檗宗]]を布教している。
|