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{{Infobox_自動車基本情報
| ロゴ= [[ファイル:NISSAN SUNNY logo.svg|200px|B15型 車名ロゴ]]
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[[1960年代]]初頭、日産自動車では「[[ダットサン・110/210]]型系」の堅調な人気を反映し、その後継となる1,000cc - 1,200cc級の小型乗用車、初代「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]」310型系が大成功を収め、続く2代目モデルの410型系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。しかし、410型系ブルーバードが1,200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、それより若干小型で700cc - 1,000cc級のベーシックカーが空位となった。
当時最大のライバルであった[[トヨタ自動車]]は、700cc級の「[[トヨタ・パブリカ|パブリカ]]」をエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc - 1,000cc級の小型車で市場参入を進めていた。日産社内ではこれを危惧し、ダットサンの小型モデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車社長であった[[川又克二]]<ref group="注釈">旧[[日本興業銀行]]出身。長く社長・会長を務め、日産自動車中興の祖と言われた。</ref>は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で、「お金のない方はブルーバードの[[中古車|中古]]をお買いになればよろしい」と評する始末であった。開発陣は[[商用車]]開発などの名目で川又社長を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの[[開発]]にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。
サニーは日産の最小[[排気量]]クラスを担う主力車種として、[[高度経済成長]]期から[[バブル経済]]期までのベストセラーカーとなった。日本の[[大衆車]]の中でも[[トヨタ・カローラ]]と双璧をなす存在で、その最盛期には「CS戦争」ともいわれる、販売台数の熾烈な争いを繰り広げたことで知られる。
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発売されると市場で好成績を収めたものの、続いて発売されたトヨタ・カローラのデラックスさをアピールする販売戦略の前に後塵を拝し、以後長年にわたる両車の販売競争が勃発することになった。
* [[1965年]]12月 - 日産自動車としては初の新型車名[[公募]][[キャンペーン]]を実施、[[ティザー広告|ティザー]]/プレキャンペーンを[[マスメディア]]で展開。翌1966年2月、約800万通の応募からサニー<ref group="注釈">「太陽がいっぱい」と言う意味。一般公募により、応募総数848万3,105通の中から名づけられた。この時点で「サニー」は[[ソニー]]により商標登録されていたので、ソニーからの許諾をとった上で商標とした。</ref>が決定された。
* [[1966年]]2月19日 - 東京・千駄ヶ谷の都立体育館でサニーの車名発表会が開催される。当発表会には、日産自動車創業者の[[鮎川義介]]も立ち会っている。
* 1966年4月23日 - B10型2ドアセダンを販売開始。発売当初の車名は「'''[[ダットサン]] サニー'''」([[車検証]]上の車名も「ダットサン」)である。
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* [[1969年]]8月 - 上級グレード「GL」を設定。
;モータースポーツ
* [[1967年]]10月 - [[オーストラリア]]の[[バサースト]]500マイルレースに出場、ワンツーフィニッシュを飾る。ロクスバーグル・ホワイトフォード組(ともにオーストラリア)がクラス優勝<ref group="注釈">Aクラス:ベースモデルの現地での販売価格が1,800オーストラリアドル以下。</ref>、[[高橋国光]]・大石秀夫組が2位となる。これがB10型サニーのメジャーレースでの初陣である。
* [[1968年]] - [[マレーシア]]GPでクラス優勝<ref group="注釈">1,100cc以下クラス、ドライバーは[[黒沢元治]]。</ref>、総合で6位。
* 1968年8月 - 全日本選手権、雨の[[鈴鹿サーキット]]で宿敵カローラを下す。ドライバーは[[北野元]]。
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エンジンは直列4気筒OHV [[日産・A型エンジン|A12]]型1,200ccエンジンで、高回転化に適した5ベアリング式へ変更され、当初から5ベアリング4気筒を採用していたカローラの[[トヨタ・K型エンジン|K型エンジン]]に対抗し、それを凌駕することを目指して改良された。更には、より排気量の大きいモデルを追加したカローラに対抗するため、ブルーバード1400の[[日産・L型エンジン|L14型]]を搭載した上級シリーズの「エクセレント」を中途追加している。
この代にもピックアップトラック型の[[日産・サニートラック|サニートラック]] B120型<ref group="注釈">型式名の10の位にあたる「2」は、日産の命名規則で小型[[貨物自動車]]を表す。</ref>が設定されたが、このモデルは乗用車系のB110型生産終了後もマイナーチェンジを繰り返し、日本国内向けは[[1994年]]3月までの23年間、海外向けにいたっては[[2008年]]9月まで37年間の長きにわたり生産が続けられ、[[日産・NP200|NP200]]の発売後に至っても在庫分が併売されていた。後継モデルのB210型系がピックアップトラック化を考慮していないスタイルであったことが理由であるが、B120型の設計が優れていたことも一因である。B120型系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれている。
[[北アメリカ|北米]]市場では当時の市販車中、最良の省[[燃費]]車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価され、日産車の販売実績向上に貢献した。
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* [[1972年]]1月 - マイナーチェンジ。内外装の小変更。フロント / リヤの[[フェイスリフト]]とメーターパネルの枠を丸型から角型に変更。
* 1972年8月 - 1200GXシリーズに5速MT搭載車「GX5」を追加。この56A型トランスミッションは1速が左手前に来るシフトパターンで、5速も[[オーバードライブ]]では無く、1.0:1.0となる[[歯車比|クロースレシオ]]であり、「5速直結」、「GXミッション」などと通称される。
* 1972年10月 - 第19回[[東京モーターショー]]に[[ロータリーエンジン]]<ref group="注釈">ただし、翌年に起こった[[オイルショック]]のため、ロータリーエンジン車の開発は中止されている。</ref>搭載車を参考出品。
;モータースポーツ
日本では、[[ツーリングカー]]レース(TSクラス)のベース車としても大きな成功を収めており、生産中止後も非常な長期に渡って[[モータースポーツ|レースフィールド]]で強豪モデルとしての地位を保ち続けたことでも知られる。110型系の生産中止後、その重量と寸法の増大から後継の210型系での開発・出走を嫌った多くのユーザーからの「[[請願]]」により、数度の[[ホモロゲーション]]延長が行われているが、これは車両の進化が速いレースの世界にあっては極めて異例の措置である。レース用に[[チューニングカー|チューニング]]された[[日産・A型エンジン|A型エンジン]]は、[[燃料噴射装置]]の効果もあり、[[自然吸気]]の[[OHV]]1,300cc から、その末期には175馬力/約10,000rpmを搾り出しており、何の変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的な[[ポテンシャル]]を見せた。また軽量で運動性が良く、空気[[抵抗]]の少ない車体や、旧態依然とした[[リーフ式サスペンション|リーフスプリングに吊られたリジッドアクスル]]ながら、高いトラクションとコーナリング性能を発揮する足回りなどとの相乗効果で新鋭の[[DOHC]]マシンを下す場面もあった。前述のとおり210型系では積極的なレース活動は行われていないが、310型系のツーリングカーにこの資産は引き継がれている。
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* 1978年8月 - 輸出累計200万台を突破。
* [[1978年]]12月 - 一部改良が行われ、フロンドディスクブレーキが拡大採用され、衝撃吸収バンパーが新設された。また、バンに「シティ DX」及び「スーパーデラックス -A」を追加し、バンのスタンダード仕様はこの一部改良でさらに廉価仕様となる。
* [[1979年]]1月 - バックドアを大きく寝かせた、バンとは異なるシルエットを持つ[[ステーションワゴン]]<ref group="注釈">ただし当時はステーションワゴンではなく"5ドアセダン"扱い。</ref>の「'''[[日産・サニーカリフォルニア|サニーカリフォルニア]]'''」を追加。
* 1979年10月 - マイナーチェンジ。バン以外のフロントノーズのスラント化と同時にリヤナンバープレートの位置がバンパー上に移動され、当時流行の角型ヘッドランプなどを採用(バンを除く)した。バンは従来顔のまま昭和54年排出ガス規制適合でB311型へ。
* [[1980年]]11月 - マイナーチェンジ。1200を1300(1,300ccの[[日産・A型エンジン|A13]]型)に、1400を1500(1,500ccの[[日産・A型エンジン|A15]]型)にそれぞれ変更し、外装は、フロントグリル中央横方向に一本、カラーラインが入った。また、フロントグリルはファミリータイプには横バーグリルに青い「S」バッジ、スポーティタイプにはハニカムグリルに赤い「S」バッジが採用されていた。
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| 別名=米国:[[日産・セントラ]](初代)<br />[[メキシコ]]:日産・ツル(初代)
}}
時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。[[SOHC]]へ移行、[[カムシャフト]]もサニー初の[[タイミングベルト]]駆動となる。それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に正式車名を「'''日産 サニー'''」へと切り替える<ref group="注釈">[[1981年]]7月に当時の[[石原俊]]社長の方針で、国内外で展開していた「ダットサン」ブランドを廃止し「日産」ブランドへの統一が発表された(ダットサン・ピックアップを除く)。車検証に記載される車名も「'''ダットサン'''」から「'''ニッサン'''」に切り替えられた。</ref>。ボディタイプは4ドアセダン、3ドア[[ハッチバック]][[クーペ]]、5ドアワゴン<ref group="注釈">1981年当時はまだ'''5ドアハッチバック'''扱いだった。</ref>(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは国内向け廃止。輸出仕様の[[日産・セントラ|セントラ]]には継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用した[[日産・AD|ADバン]]<ref group="注釈">当初は前身車種の流れから、販売系列ごとに「ダットサンADバン」「サニーADバン」「パルサーADバン」の車名であったが、[[1988年]]のマイナーチェンジで「ADバン」の車名に統一。</ref>として独立している。日本国外への輸出ではこれまでのダットサン210から北米のセントラとメキシコのツル以外では「日産サニー」となった。
* [[1981年]]10月 - B11型にモデルチェンジ。
* [[1982年]]2月 - 米環境保護庁より北米向けサニーである「[[日産・セントラ|セントラ]]」の1,500cc 5速MT仕様が43mile/galでガソリン車No.1の燃費効率と発表される。
* [[1982年]]9月 - 4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに1.5Lとしては国産初となる<ref group="注釈">[[三菱・ミラージュ]]が1.4Lターボを1982年2月に搭載。</ref>[[ターボチャージャー]]付 E15ET型搭載の「'''TURBO LEPRIX'''(ターボ ルプリ)」が追加された。鏡文字で「TURBO」ロゴが入る[[フロントグリル]]を特徴とする。同時に小変更の実施(1,300ccのタイヤサイズを12→13インチに拡大、一部グレードのメーター文字盤意匠の変更、チルトステアリング採用、一部グレードのホーンをシングルからダブルに等)。
* 1982年10月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初の[[ディーゼルエンジン]]車が設定され、直列4気筒SOHC・1,680ccの[[日産・CDエンジン|CD17型]]を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。
* [[1983年]]1月 - 日産創立50周年記念限定車 「サニー50スペシャル」を発売(限定3000台)。
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| 別名=米国:[[日産・セントラ]](2代目)<br />[[メキシコ]]:日産・ツル(2代目)
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デザイン、構造において1984年から日産でライセンス生産を行っていた[[フォルクスワーゲン・サンタナ|VWサンタナ]]の影響を受け、品質・性能とも大きく向上を果たしたモデルである。ボディタイプは2/4ドアセダン、3ドアハッチバック(1.3L:303, 1.5L:305)、5ドアワゴン(カリフォルニア)。2ドアセダンは国内仕様のラインナップにはない。さらに、ボディ一体型のウレタンバンパー(上級モデルはカラードバンパー)を採用し、直線・平面基調の独特なデザインとなる。B11後期で一度消滅したサニーエンブレムが、丸円にSの文字をモチーフにした形に変わって復活。B13型前期まで踏襲された。車重はやや増加したが、ボディ剛性や品質面を改善した。この代から高張力鋼板および[[亜鉛]][[ニッケル]][[合金]][[メッキ]]を用いた防錆鋼板<ref group="注釈">同社では「'''デュラスチール'''」という名前で呼ばれていた。</ref>が用いられるようになった。この点ではデザインともどもVWサンタナの影響が強い。また、サニー初の[[四輪駆動|4WD]]はパートタイム方式で、唯一セダンのみに設定されており、リアサスペンションも逆Aアームを用いた[[独立懸架]]となっている。この代からホイールの[[ナット座ピッチ直径|PCD]]が100.0mmになり、12インチホイール&12インチタイヤを装着した仕様が消滅した。海外でも前作B11型同様、北米は「セントラ」、メキシコでは「ツル」として販売。アジア圏でもタクシーなどで使われることも多く、香港・マレーシア・インドネシアでもタクシー車として重宝していた。
* [[1985年]]9月 - B12型にモデルチェンジ。トラッド・サニーの愛称で呼ばれた。
* [[1986年]]2月 - クーペの[[日産・サニーRZ-1|「'''RZ-1'''」('''アール・ズィー・ワン''')]]が追加された。[[シャシ (自動車)|シャシ]]はセダン / ハッチバックと共通だが、外板の約70%は専用設計となり、鋭角的な独特のフロントマスクを与えられた。
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* 1986年9月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアに、フルオート・フルタイム式4WD車、および「セダン1500スーパーサルーンE」を追加。
* [[1987年]]5月 - 4ドアセダンに「ELEGANT SALOON」を追加。
* [[1987年]]9月 - マイナーチェンジが行われ、外装ではフロントマスクと特にリアコンビネーションランプやナンバー取付け位置などが変更された。また1,500ccガソリン車のエンジンが「スーパー・インテークエンジン」と呼ばれる直列4気筒SOHC・12バルブの[[日産・GAエンジン|GA15]]型<ref group="注釈">1気筒あたり吸気×2、排気×1の[[マルチバルブ|3バルブ方式]]で日産車史上初。電子制御[[キャブレター]] (ECC) 仕様の[[日産・GAエンジン|GA15S]]・85仏馬力と電子制御[[燃料噴射装置|インジェクション(EGI・ECCS)仕様]]の[[日産・GAエンジン|GA15E]]・97仏馬力。いずれもカムシャフトの駆動用に耐久性に優れたタイミングシングルチェーンを採用、[[タイミングベルト|コグドベルト]]廃止の口火を切る。</ref>に変更された。1,300cc車は従来どおりキャブレター仕様のE13S型のみ。これに伴いE15ETターボエンジン車はモデル廃止。グレードは「1300 GL / 1500 GL」が「1300EX SALOON / 1500 EX SALOON」に改名。また、「1500 SGL」に代わって新たに「1500 SX SALOON」を設定。セダン / カリフォルニアの「1500 SUPER SALOON」系の「フルオートフルタイム4WD」([[センターデフ]]の代わりに[[ビスカスカップリング]]を利用)車にはメカニカル式[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]がメーカーオプションで設定された。
* [[1988年]]1月 - セダンスーパーサルーン系に「ツインエアロルーフ仕様」<ref group="注釈">世界初の電動ツインスライド式のガラスサンルーフ。</ref>および[[モータースポーツ]]向けの「1600 VR TWINCAM」をそれぞれ追加。エンジンは5速クロスミッション付きの[[日産・CAエンジン|CA16DE]]型を搭載した。同時に、マニュアルエアコンを標準装備した特別仕様車「1300 / 1500 EX SALOON G」発売。
* 1988年6月 - トリプルビスカス式4WD車を追加。同時に「1500 SUPER SALOON」及び「1500 SUPER SALOON E」をベースにオートエアコンとマットガード、専用ホイールカバー、フロントサイドオーナメント、ゴールドエンブレム等を標準装備した特別仕様車「1500 SUPER SALOON TRAD」と「1500 SUPER SALOON E TRAD」を発売。車体色はクリスタルホワイトのみ。
* [[1989年]]1月 - セダンを中心に一部改良。「1600 SUPER SALOON '''NISMO'''」および「1500 SUPER SALOON E '''NISMO'''」を追加。「SUPER SALOON」シリーズは装備の追加およびシート表皮等の変更に伴い「SUPER SALOON SPLEND」シリーズに改名。
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| 別名=米国:[[日産・セントラ]](3代目)<br />[[メキシコ]]:日産・ツル(3代目)
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B12型からのキープコンセプトであるが歴代モデルで最も高品質を追求したのが特徴。<br>ボディは4ドアセダンのみ。クーペモデルはサニーの名を冠せず[[日産・NXクーペ|NXクーペ]]となり、[[日産・エクサ|EXA]]の後継としての役割を担う。エンジンはガソリンエンジン全車をDOHC化。シングルチェーンを用いた上下2段の[[タイミングチェーン]]でカムシャフトを駆動している。1,600ccのGA16DE型のみ同社初にしてサニー初のメカニカル式[[可変バルブ機構|可変バルブタイミング]]機構が装備されている。サニー初の1,800ccガソリンエンジンも設定された。グレードは1.8GT-Sで、専用外装パーツ、DOHC16バルブ・プレミアムガソリン仕様・140仏馬力の[[日産・SRエンジン|SR18DE]]型を搭載。上級グレードであるスーパーサルーン系は、エンジンや駆動方式を問わず、8種類用意された外装と内装を自由に組み合わせることができるスーパーセレクション方式を採用。組み合わせにより、外観はノーマルのままで内装のみ「GT-Sインテリア」という選択や「ラグジュアリーインテリア」に「GT-Sルック」という選択も可能であった。また、ラグジュアリーインテリアとラグジュアリールックを同時選択した場合のみ、このクラスとしては極めて珍しい「電子制御式サスペンション」も装着可能であった。このモデルから多くのグレードに油圧式の[[アンチロック・ブレーキ・システム|ABS]]がメーカーオプション<ref group="注釈">当モデルよりそれまで使用されていた「4WAS」から順次「ABS」に変更されていくことになる。</ref>。なお、1.8GT-S以外のグレードでABSをメーカーオプションで装着するとリアブレーキが[[ディスクブレーキ]]となる。一部の塗装色に限り、メーカーオプションでスーパー・ファインコート塗装([[フッ素]]樹脂塗装)が選択することが出来た。4WDは1,500cc車にはフルオート・フルタイム4WD、1,800cc車にはアテーサ、ディーゼル車(後に追加)はパートタイム4WDを採用。ディーゼル車はマニュアルのみ。
* [[1990年]]1月 - B13型にモデルチェンジ。
* [[1990年]]10月 - 5ドアワゴン<ref group="注釈">しかし実際はB12型カリフォルニアまでは'''ワゴン'''ではなく'''5ドアハッチバック'''を名乗っていた。なおY10型カリフォルニア移行後、正式に'''ワゴン'''を名乗るようになった。</ref>のカリフォルニアがフルモデルチェンジ。こちらは2代目[[日産・AD|ADバン・ADワゴン]]とボディをほぼ共有するため型式がY10型となる。
* [[1991年]]1月 - 1.6LのスーパーサルーンeをベースにラグジュアリーインテリアとGT-Sルックを装着し、4本スポークの本皮革ステアリング等を装着した特別仕様「25th ANNIVERSARY」を発売。同年5月には、1.5LのスーパーサルーンやEXサルーンをベースにした同名の特別仕様も登場した。
* [[1992年]]1月 - マイナーチェンジが行われ、フロントグリルのエンブレムがSマークから日産のCIに変更。バンパー、プロテクターの形状変更。ホイールカバーのデザイン変更。同時に九州工場での生産を開始した。
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| 別名=米国:[[日産・セントラ]](4代目)
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ユーザーの若返りや大幅なコストダウン<ref group="注釈">1990年代は、バブル経済の失速&崩壊、社会情勢的に自動車の環境&安全性能の向上が至上命令となり、開発費や設備投資への巨額な費用捻出のため、日産に限らず多くの自動車メーカーが大幅なコスト削減の対応に追われていた。</ref>を課題として開発された。ボディタイプは4ドアセダンのみ<ref group="注釈">当初、Y10型ADバン/ADワゴンベースの「'''サニー・カリフォルニア'''」が併売されていたが、[[1996年]]5月に同Y10型「[[日産・ウイングロード|ウイングロード]]」が登場したのを期にモデル廃止となった。</ref>。ただしクーペモデルの[[日産・ルキノ|ルキノ]]は、前期型のみサニー・ルキノの名でも販売されていた。ホイールベースを延長(B12型およびB13型に対して105mm延長)、居住性を向上させ、FF車のリアサスペンションに新開発の[[マルチリンク]]ビームサスペンション<ref group="注釈">実際は3リンク式トーションビームサスペンションの延長線上の方式。</ref>を採用した。4WDシステムはガソリン車はフルオート・フルタイム4WD、ディーゼル車にはアテーサを採用。また、ガソリンエンジンはすべてマルチポイントインジェクション化。直列4気筒DOHCエンジンの1,300cc[[日産・GAエンジン|GA13DE]]型と1,500cc[[日産・GAエンジン|GA15DE]]型を改良して搭載。「スーパーツーリング」にはプレミアムガソリン仕様の1,800cc[[日産・SRエンジン|SR18DE]]型またはレギュラーガソリン仕様の1,600ccGA16DE型を搭載。ディーゼルエンジン車は2,000ccの[[日産・CDエンジン|CD20]]型となった。その後、B14型登場から4か月後に「1.5EXサルーン」をベースに[[リーンバーン]]仕様の1,500ccGA15DE型エンジンに換装した「1.5CX」を追加。[[1995年]]1月にはセダンの一部が変更。スーパーサルーン、EXサルーン、CXのグリルをメッキ化し、リアフィニッシャーをボディカラー化。このほか、1.5スーパーサルーンのFF車のフロントディスクブレーキのベンチレーテッドディスクブレーキ化やタイヤサイズの変更(165SR13 → 175/70R13 82S)などが挙げられる。
* [[1993年]]12月 - B14型にモデルチェンジ。
* [[1995年]]1月 - [[日産・パルサー|パルサー]]セリエとの兄弟車であるルキノ3ドアハッチバックが追加。同時にセダンの一部改良を行い、運転席SRSエアバッグが特別装備の特別仕様車を発売。
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* [[1999年]]9月 - ディーゼル車モデルチェンジ。
;モータースポーツ
エンジンをSR20DEに換装したB14型サニーが1994年・1995年のオールシーズンと1996年のシーズン途中まで参戦<ref group="注釈">メンテナンスは東名エンジニアリング。</ref>。1995年に[[MINEサーキット]]で行なわれた第9戦(第2ヒート目)で、[[ザナヴィ]]・サニーを駆る[[飯田章]]が、ジャックス・[[ホンダ・シビックフェリオ|シビックフェリオ]]を駆る[[服部尚貴]]との激闘を制する。ちなみに、このJTCCレースカーはその後、東南アジア・ツーリングカー・ゾーン・チャレンジ(SEATCZC)に地元チームの手で参戦。現在は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。B14型サニーの[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]参戦記念モデルとして、[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]では1,800ccの4ドアセダンをベースに、「NISMO 180R」というロードコンプリートカーを企画。車名は最大出力である180馬力に由来し、走行可能なプロトタイプが1台のみ製作されたが、市販化はされなかった。エンジンはSR20DE型のファインチューニング版を搭載し、ニスモ製強化サスペンションと15インチアルミホイールに加え、専用[[エアロパーツ]]をフル装着。搭載されていたエンジンとトランスミッションは、同年発売のB14型ルキノクーペ、及びN15型パルサーセリエ / ルキノハッチをベースとした「AUTECH VERSION」<ref group="注釈">開発・販売は[[オーテックジャパン]]。</ref>にSR20DE改良型として搭載され、発売された。
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*取り扱いは日産[[日産・レッドステージ|レッドステージ]]と[[日産・レッド&ブルーステージ|レッド&ブルーステージ]]。1999年の販売網再編以前までは[[日産サニー店]](現・[[サティオ店]])の専売車種であった。
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== 注釈 ==
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== 関連項目 ==
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