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現在食べられている麺線状のそば(そば切り)は信州から始まったといわれ、それ以前は団子状の「そばがき」や「すいとん」、薄く焼いた「お焼き」、「煎餅」などとして食べられていた。そば切りの最古の記録は天正2年([[1574年]])、信州木曽にある定勝寺の記録にみられ(落成祝いにそば切りを振る舞ったというもの)、その発祥は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以前にさかのぼると思われる。
 
<ref> 佐久史学会発行「佐久48.49合併号」</ref>なお、信州佐久の篠澤家には次の3種類のそば料理に関する古文書が現存している。
 
・慶安元年(1648)文献名「青山因幡守様御献立」…信州佐久岩村田篠澤佐五右衛門が小諸城主に蕎麦切献上。
 
・寛延3年(1750)文献名「内藤美濃守様御法要献立」…信州佐久岩村田篠澤佐五右衛門が岩村田藩主の法要に蕎麦切献上。
 
・宝暦13年(1763)文献名「伊勢町奉行依田金十郎様御献立」…信州佐久岩村田篠澤佐五右衛門が依田金十郎伊勢町奉行に蕎麦切献上。
 
伝統的には山間の救荒食であった蕎麦だが、そば切りに関してはもともとハレの日のごちそうという性格が強く、江戸時代中期以降、江戸の庶民文化の中で嗜好品として花開いた。また、[[出石そば]]、[[出雲そば]]、[[越前そば]]や、京都の[[にしんそば]]など各地のご当地そばのルーツも元をたどれば信州にあるといわれている。