「日産・フェアレディZ」の版間の差分

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搭載されたL型6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2Lクラスの最新式ではあったが、素性は鋳鉄ブロックにターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンであった。北米向け仕様は2.4Lへの排気量拡大でトルクを太らせたL24型エンジン採用でパワー対策としており、これもまた手堅い手法であった。だがL型は低速域からのトルクに富み、大排気量アメリカ車同様に実用域で扱いやすかった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに比して、シンプルな設計のおかげで手荒な取り扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易な、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したユニットであった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの良き伝統を受け継いでおり、「Z」に実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えた。
 
荷物スペースは[[スペアタイヤ]]2個分というスポーツカーとしては非常に大きな容量を確保しているが、これは「一週間分の食料」の積載を考慮したもので、アメリカ人のライフスタイルを反映したものである。
[[インダストリアルデザイン|スタイリング]]は、[[松尾良彦]]・[[吉田章夫]]・[[千葉陶]]のわずか3名からなる日産自動車第1造形課第4デザインスタジオに託され開発が始まった。この部署は当時日本では売れなかったスポーツカー担当の部署であった。日産自動車が自動車普及への促進を願い、傘下の[[愛知機械工業]]の製品だが売れ行きが悪く不良在庫になっていたミニトラック「[[コニー・グッピー]]」を改造ベースに、100台もの子供用ゴーカート「ダットサン・ベビー」を遊園施設こどもの国へ寄贈したプロジェクトでこの部署がデザインを手がけたが、「ダットサン・ベビー」のデザインが初代フェアレディZに似ているのはゴーカートとはいえ格好良いスポーツカーデザインにこだわって松尾が仕上げたからである。
 
[[インダストリアルデザイン|スタイリング]]は、[[松尾良彦]]・[[吉田章夫]]・[[千葉陶]]のわずか3名からなる日産自動車第1造形課第4デザインスタジオに託され開発が始まった。この部署はスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署であった。メディアでは「S30のチーフデザイナーは松尾」と紹介されることが多いものの、実際は吉田案のファストバックをベースに松尾案のフロントマスクを合わせたデザインが基本となっている。その後、1967年に田村久米雄・西川暉一・桑原二三雄の3名がスタジオ入りし、最終的な修正は田村が担当している<ref>[http://mizma-g.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/z-79fe.html 1st Gen Datsun Z (初代フェアレディZ) デザイン決定までの流れ(田村氏の証言から再構成したもの)]</ref>。
松尾のデザインしたロングホイールベースの2+2は1973年に実車となってシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つ[[タルガトップ]]モデルが設計され、[[プロトタイプ]]まで製作された。また、将来的なモアパワーの要求には、プレジデント用[[V型8気筒]]([[日産・Y型エンジン|Y40型エンジン]])で対処する松尾の私案(スーパーZ)もあったが、どちらも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものやクーペベースのワゴンや松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このS30Zスポーツワゴンにおいては松尾が1966年に描いたスケッチをもとに、米在住で自動車レストア専門家の安宅二弥によって1台だけ再現された。この車両は2014年8月、サンディエゴの日産主催のZコンベンションにてお披露目された、北米ニスモのサイトでも紹介されて話題になった。尚この再現プロジェクトは松尾が監修にあたり、現代風なシューティングブレイク風に仕上げられた。そのストーリーは[[芸文社]] ノスタルジックヒーロー2014年8月号と10月号にも連載された。
 
ボディタイプは各種検討されており、松尾のデザインしたロングホイールベースの2+2は1973年に実車となってシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つ[[タルガトップ]]モデルが設計され、[[プロトタイプ]]まで製作された。また、将来的なモアパワーの要求には、プレジデント用[[V型8気筒]]([[日産・Y型エンジン|Y40型エンジン]])で対処する松尾の私案(スーパーZ)もあったが、どちらも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものやクーペベースのワゴンや松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このS30Zスポーツワゴンにおいては松尾が1966年に描いたスケッチをもとに、米在住で自動車レストア専門家の安宅二弥によって1台だけ再現された。この車両は2014年8サンディエゴの日産主催のZコンベンションにてお披露目された、北米ニスモのサイトでも紹介されて話題になった。尚この再現プロジェクトは松尾が監修にあたり、現代風なシューティングブレイク風に仕上げられた。そのストーリーは[[芸文社]] ノスタルジックヒーロー2014年8月号と10月号にも連載されたている
1996年に北米でのフェアレディZ発売が中止になった後、ファンからの要望で北米日産が新品・中古パーツを集めてレストアして同車を限定販売する企画がありビンテージZと名付けられ、1997年から99年初頭にかけ、レストアされ販売された。しかしレストアには予想以上の費用と時間がかかり採算が合わない上、募者が殺到したため、当初200台の予定が、39台にとどまりその後、中止となった。またビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、全て地元の板金工場やショップが仕上げた為、個々の車体の仕上がりや、仕様には様々なものがある。しかしメーカーが総力をあげて車をレストア販売するという異例の企画は当時画期的であった。
 
1996年に北米でのフェアレディZ発売が中止になった後、ファンからの要望で北米日産が新品・中古パーツを集めてレストアして同車を限定販売する企画が立ち上がビンテージZと名付けられ、1997年から99年初頭にかけ、レストアされ販売された。しかしレストアには予想以上の費用と時間がかかり採算が合わない上、募者が殺到したため、当初200台の予定が39台にとどまりその後中止となった。またビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、全て地元の板金工場やショップが仕上げた為、個々の車体の仕上がりや、仕様には様々なものがある。しかしメーカーが総力をあげて車をレストア販売するという異例の企画は当時画期的であった。
 
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