「食堂車」の版間の差分
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:* 相次ぐ特急増発により、人員面に余裕がないことから特急と急行(ビュフェも含む)を並存していた線区では特急の食堂営業のみに絞る傾向も強まった。
:* [[山陽新幹線]]博多開業に合わせて連結されることになった全室食堂車へ要員確保のために1974年始め頃から西日本(近畿地方以西)の在来線では寝台特急を中心に食堂車営業休止列車が続出したほか、[[東北新幹線]]でもビュフェが連結されることになったために、1981年10月から1982年7月にかけて「ひばり」一部列車と「[[つばさ (列車)|つばさ]]」「やまばと」全列車の食堂車が営業休止となった。
* 通常の飲食店と異なり、飛び込みの利用客が一切期待できないことによる回転率の悪化。さらに特急列車の大衆化による客層の変化もあって、自由席代わりにビールやコーヒー1杯で長時間居座る悪質な利用が常態化していった<ref>[[宮脇俊三]]の「[[汽車旅12カ月]]」や[[植田まさし]]の漫画作品にはこうした客の描写が頻繁に登場する。その一方食堂車に関する鉄道書や鉄道雑誌では、こうした居座りに関する記述はほとんど見られない。</ref>。一方、[[1952年]]に日本食堂が発行した特急「つばめ」「はと」の食堂車に関する案内イラストでは、エチケットの一環として混雑しているにも関わらず食事を終わった人たちが長居している様子が描かれていることから、長時間居座る事例はかなり前から見受けられたことが伺える
* 昼行特急列車の増発ならびに新幹線との連携、さらには航空機や[[高速バス]]の発展に伴って長距離夜行列車の需要が減退してきたことにより、夜行列車自体の運行区間の短縮および効率化を図るために相対的なサービス低下を余儀なくされた。
:* 東京 - 九州・山陰間の[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車|特急]]では、1978年2月に「あさかぜ1・2号」が車両を20系から24系への変更を実施したが、同時に従来から24系で運転されていた共通運用となる「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」「富士」「[[出雲 (列車)|出雲]]」も含めて食堂車組成位置を基本編成から付属編成に変更した。これは「はやぶさ」「富士」の基本編成が3本、付属編成が2本で運用されることから、食堂車を新造せず「あさかぜ」用に2両捻出する目的と九州側末端区間での利用客減少という2つの理由によるものである。
* 新幹線を含む昼行特急列車の増発による特急列車の一般化やスピードアップなどで乗車時間が短縮され、食堂車で食事を摂る必要性が減少した。さらに食堂車を利用していた主な客層であった長距離客(特に優等客)が航空機利用に転移したことも、食堂車の需要減少の一因であった。
* [[1980年代]]以降になると、[[コンビニエンスストア]]などにおける[[弁当]]販売の普及や[[ファーストフード]]チェーン店の台頭などにより、食習慣や価値観が変化し食堂車の利用率が低下した。
* 他と比較すると割高な価格設定
* 利用客が多く運営面でも黒字であったにもかかわらず国鉄による車両運用合理化の方針で編成から外されて廃止になったケースもあった。
:* 食堂車不連結の183系に編成を揃えるため181系の食堂車を外した「[[とき (列車)|とき]]」([[1978年]]7月)。489系の3MG化に伴い食堂車を外した「[[あさま|白山]]」「[[はくたか (列車)|はくたか]]」(1978年10月)や[[1985年]]3月[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]で食堂車の連結を終えた特急「[[サンダーバード (列車)|雷鳥]]」「白山」などがその例。
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| 2=特急「白山」食堂車さよなら営業<br />サシ489-4<br />1985年
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これらの状況から、在来線ではビュフェ車連結の電車急行列車では、[[1976年]]11月に[[中央本線|中央東線]]の「[[あずさ (列車)|アルプス]]」ならびに[[信越本線]]の[[あさま|「信州」・「妙高」]]を最後に廃止、食堂車連結の昼行特急列車は[[1986年]]11月の[[オホーツク (列車)|「おおとり」・「オホーツク」]]を最後に廃止された。一方で、[[1981年]]には[[国鉄キハ183系気動車|キハ183系気動車]]のキロ182の車内の一部を、長距離客に配慮して[[新幹線0系電車#ビュフエ・食堂車|0系新幹線]]のビュフェ車と同様の設備を持つ厨房を備えた車販準備室兼売店にした<ref>ただし[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]になってからは、車内での調理は行われなくなった。</ref>。
また1985年には「雷鳥」に和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)が登場した。この車両はサシ481形を改造したもので、旧調理室はビュフェとし軽食類の提供を行うという新たなサービス形態が提案された。しかし、1989年の「[[サンダーバード (列車)|スーパー雷鳥]]」登場時に和式グリーン車そのものが廃止されたため、当該車両は一部が廃車、一部が通常座席のサロ481形2000番台に改造されビュフェ部分はラウンジに改装されたが、小規模ながら「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」登場後の[[1995年]]11月までビュフェと売店として営業した(以後は車販基地として使用)。また、このコンセプトは「白山」に連結された[[国鉄485系電車#モハ489形|ラウンジ&コンビニエンスカー]]でカレーライスや弁当類などの軽食を[[電子レンジ]]で暖めて販売するスタイルに承継された<ref>「白山」は[[北陸新幹線]][[長野新幹線|長野暫定開業]]の1997年10月に廃止。その後ラウンジカーを組込編成が昼行特急で運用される場合は、コンビニエンスコーナー部は車販基地として使用された。</ref>。
この時期余剰となった食堂車は廃車後、その構造を生かしてレストランに転用されるものも多かった。しかしレストランそのものが閉店、或いは郊外に設置されるものが多く老朽化が進行し、そのほとんどが設置から10年ほどで解体されており現存数は少ない。
==== 分割民営化以降 ====
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