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== 概要 ==
鎮座する'''烏帽子山'''は、'''御嶽山'''(おんたけさん)とも'''雲見ヶ嶽'''(くもみがたけ)とも呼ばれ、伊豆半島の最西端となる海岸に立つ、独立した[[凝灰岩]]質の岩山である。その中腹に2箇所の拝殿と中の宮(女宮)があり、山頂の直ぐ下に本殿がある。往古は女人禁制の神社で、女性は中の宮までしか参拝できなかった
 
麓の[[国道136号]]線から徒歩で25分ほどで2箇所の拝殿を経由して本殿に至るが、途中の428段の石段は極めて急で足場の悪い箇所もあり、また山頂付近は常に強風に晒されているため、健脚を要し、[[ハイヒール]]など軽装は禁物である。
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姉の磐長姫尊は醜だが妃に娶ればその子は岩のような長命を授かり、一方妹の木花開耶姫命は絶世の美女だがその子の命は花のように短い、とされていた。天孫である[[ニニギ|瓊瓊杵命]](ににぎのみこと)は、[[葦原中国]](あしはらのなかつくに、[[日本]]のこと)に降臨して木花開耶姫命に一目惚れし、大山祗命は姉の磐長姫尊も共に妃として差し出したが、瓊瓊杵命は磐長姫尊を疎んじて大山祗命の許へ返してしまった。この[[神話]]は[[古事記]]や[[日本書紀]]などにも見られるが、これを悲しんだ磐長姫尊は雲見に隠れ住み、仲良しだった姉妹も互いに憎み合うようになってしまったという。
 
[[本居宣長]]の『[[古事記伝]]』には、「美人の妹(富士山)に嫉妬した醜女の姉(烏帽子山)が雲見に逃れて小さな岩山に祀られ、優しい妹は姉を心配して背伸びをして捜したのでますます背が高く美しくなった」との伝説が記されている。また地元には「烏帽子山が晴れる時には富士山が雲に隠れ、逆に富士山が晴れる時には烏帽子山付近の天候が悪くなる」とか、「烏帽子山に登って富士山を誉め賛えると海中に振り落とされる」いった伝説があるため、地元の人は[[富士登山]]を忌み、また「富士」という言葉は永く禁句であったという。
 
またこれらとは別に「木挽きの善六」の伝説もある。昔、[[岩科村]](現在の静岡県賀茂郡松崎町岩科)に善六という[[木挽|木挽き]]があった。大男で大飯喰らいであったが、木挽きとしての腕は振るわず、日頃木挽き仲間や子供達からも馬鹿にされていた。それを口惜しく思った善六は一念発起し、当社に21日の[[断食]]祈願をかけて[[霊力]]を得た。上達した善六は天城(あまぎ、[[伊豆地方]]のこと)は勿論、[[江戸]]にまでその名を知られる立派な[[職人]]になったという。善六が試し斬りをしたとされる大[[岩]]が現在も山中に残る、とされる。
 
慶応2年(1866年)『雲見神社参詣記』によれば、例祭の日になると普段は見ることがない体長一丈余(約3m)の[[シュモクザメ]]と大きな[[ウミガメ]]が海上に姿を現し、一日中、烏帽子山に添って回遊するという。
 
== 関連項目 ==