「石井裕也 (野球)」の版間の差分
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=== 中日時代 ===
{{by|2005年}}[[4月13日]]の[[広島東洋カープ]]戦でプロ初登板。初球を[[前田智徳]]に[[豊橋市民球場]]の右翼スタンドに放り込まれた。4日後の[[4月17日]]の[[阪神タイガース]]戦でプロ入り初勝利を挙げ、その試合で逆転[[適時打]]を打った[[福留孝介]]にお立ち台に連れて行ってもらい、[[岩瀬仁紀]]からウィニングボールを手渡された。初めてのヒーローインタビューでは照れて顔を真っ赤にしていたが、たどたどしい言葉が場内に響くたびに拍手が巻き起こった。[[セ・パ交流戦]]で[[オリックス・バファローズ]]戦に登板した際、捕手の[[谷繁元信]]のサインに首を振って投げた球で[[三振]]を奪い、ベンチで谷繁にその新人らしからぬ度胸を褒められた。[[9月24日]]には[[読売ジャイアンツ]](巨人)戦でプロ入り初先発し、巨人打線を5回無失点に抑える。4回には自ら適時[[二塁打]]を放ち、初先発を白星で飾った。最終的に24試合の登板で防御率5点台と安定感は欠いたが3勝1敗5ホールドの成績を残した。
{{by|2006年}}は開幕から[[朝倉健太]]と共にロングリリーフ要員として開幕を
{{by|2007年}}は主に先発降板後の2番手として登板。4月下旬から一軍入りするも、5月に入って二軍落ち。9月の優勝争いの時期に一軍へ返り咲くと8試合連続無失点の好投を見せ、7点台だった防御率を2.95まで改善してシーズンを終えた。制球に苦しみ、再三走者を出すものの後続を打ち取る、あるいは後を継いだ投手が抑えるというケースが多かった。左打者は29打数2安打と抑えるも、右打者に対しては苦しんだ事がそういった印象を与える事にもなった。
{{by|2008年}}は開幕を二軍で迎える。[[6月16日]]に[[小池正晃]]との[[トレード|交換トレード]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]へ移籍。3年越しで憧れの球団に入団することとなった。▼
▲{{by|2008年}}は開幕を
=== 横浜時代 ===
[[File:YB-Yuya-Ishii.jpg|200px|thumb|left|横浜時代(2009年4月30日、阪神甲子園球場)]]
移籍してすぐ
{{by|2009年}}には前年度まで抑え投手を務めていた寺原が先発投手に転向するに当たって、石井が抑えに回ることとなった。春季キャンプでは新球[[フォークボール]]の習得するなど意欲を見せ、横浜の偵察に来ていた巨人のスコアラーに「制球も良く、自滅することが少ない」と評価され、本人もかつて在籍した中日の岩瀬仁紀のような抑え投手を目指していると語っていた。[[4月12日]]の[[東京ヤクルトスワローズ]]戦でプロ初[[セーブ]]を挙げ、その後6セーブを挙げるも救援の失敗が続き、[[山口俊]]に抑えの座を譲ることになった。
{{by|2010年}}[[4月2日]]に[[江尻慎太郎]]との交換トレードで[[北海道日本ハムファイターズ]]へ移籍した。 === 日本ハム時代 ===
[[2010年]]は[[6月14日]]から
背番号を'''27'''から'''13'''に変更して挑んだ{{by|2011年}}シーズンは、左のワンポイントリリーフとして首位争いを演じる日本ハム中継ぎ陣を支えた。[[8月8日]]の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で1球勝利(日本ハム移籍後初勝利)、同14日の[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で2球勝利を記録したが、これらを同一月に記録したのはプロ野球史上初。なお、この2試合とも先発投手は[[斎藤佑樹]]で、石井は2番手として登板した。最終的にこの年は39試合に登板し、3勝1敗9ホールド、防御率1.31と安定感抜群だった。▼
{{by|2012年}}はシーズン開幕直後にめまいを発症し、長期にわたり離脱する。復帰は同年シーズン終盤で18試合の登板にと
{{by|2013年}}は序盤から1軍に帯同し、51試合の登板で4勝6敗17[[ホールド]]、防御率2.74の好成績を残した。
しかし[[2014年]]は安定感を欠き、13試合の登板に終わってしまった。
▲背番号を'''27'''から'''13'''に変更して挑んだ{{by|2011年}}シーズンは、左のワンポイントリリーフとして首位争いを演じる日本ハム中継ぎ陣を支えた。[[8月8日]]の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で1球勝利(日本ハム移籍後初勝利)、同14日の[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で2球勝利を記録したが、これらを同一月に記録したのはプロ野球史上初。なお、この2試合とも先発投手は[[斎藤佑樹]]で、石井は2番手として登板した。
[[2015年]]は51試合に登板し、1敗7ホールド、防御率2.06と復活した。
▲{{by|2012年}}シーズン開幕直後にめまいを発症し、長期にわたり離脱する。復帰は同年シーズン終盤となったが、約1ヶ月間で17試合に登板し、リリーフ陣の一角としてリーグ優勝に貢献した。{{by|2013年}}は序盤から一軍に帯同し、登板51、投球回46、勝利4、[[ホールド]]17はいずれも自己最多となったものの、翌{{by|2013年}}は当番試合数が減少した。
== 選手としての特徴・人物 ==
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