「日本における地震対策と体制」の版間の差分
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:: [[阪神・淡路大震災]]以前には「関西に地震は来ない」という[[神話]]があり、東日本大震災以前には「東北に大きな地震・津波被害はない」という神話<ref group="注">3.11 の2年前に出た「福島市役所における今後30年以内に震度6弱以上の揺れの確率を0.9%、仙台市4%、盛岡市0.7%(地震調査委員会、2010,12頁)」という予測に基づく。</ref>があった。まだ地方によっては「地震は他の地方のこと」という考えがある。
::2016年 [[熊本地震]]の前、熊本県は120年大地震のないことを理由として「大規模地震と無縁の土地柄」という内容を含む企業誘致パンフレット<ref>東日本大震災は、サプライチェーンの分断など企業活動に大きな影響を与えました。熊本地域では過去120年余り、大規模地震(M7以上)の発生はありません。また地震保険の保険料は全国的に最低価格のランクになっています。 熊本は企業にとって安定的な操業体制を維持できる安全・快適な立地条件を備えています。リスク管理やコスト面で将来にわたる安心感が得られます。 </ref>を作成し、2015年11月に[[蒲島郁夫]]知事が都内で企業誘致をしていた。布田川-日奈久断層帯は、国の調査による発生確率は非常に高く
::2012年12月政府の[[地震調査委員会]]は都道府県庁舎が30年以内に震度6弱以上の揺れに襲われる確率を公表したが、あくまでも目安である<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/1221.html 震度6弱以上 地域の確率は 12月21日 23時10分]{{リンク切れ|date=2016年2月}}</ref><ref>[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/12_yosokuchizu/2012hikaku.pdf 都道府県庁所在地の市役所(東京は都庁)及び北海道の総合振興局・振興局庁舎付近(庁舎位置を含むメッシュの中心位置)において、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率(平均ケース)]今後の地震動ハザード評価に関する検討 〜2011年・2012年における検討結果〜 参考資料、平成24年12月21日 地震調査研究推進本部 地震調査委員会</ref>。
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==== 活断層の地震発生確率 ====
日本列島には2,000以上の活断層があるとされ<ref>疑いを含め、分かっているだけで約16,000という([[目黒公郎]]東大教授と斉藤雄介読売新聞編集委員との対談での目黒教授の発言、「活断層リスク 長期で考えて」読売新聞2016年5月11日。)。</ref>、2015年時点で、地震調査委員会は約180か所の活断層の地震発生確率を公表したが、予測には不確実さがある。断層の活動間隔は数千年から数万年であるため、地震の発生が迫っていても30年という期間の確率は低くなり、リスクの伝え方として適切か当初から批判があった。また、2004年[[新潟県中越地震]]は調査対象外の断層だった<ref>「直下型地震の死角①活断層列島 足下にリスク」日本経済新聞2015年1月27日14面</ref><ref>[http://www.nikkei.com/article/DGKKZO82415610W5A120C1TJM000/ 直下型地震の死角(下)活断層列島、足元にリスク 情報公開で地域に備えを :日本経済新聞]</ref>。
==== 過去の地震被害と想定 ====
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:阪神淡路大震災以前には、関東大震災の[[火災旋風]]の教訓が流布された。阪神淡路大震災では震度7が強調されたが、ボランティアの働きで震災は乗り越えられるという考えが広がった。両方とも津波の被害がなかったために、津波対策がおろそかになった。阪神淡路大震災と新潟県中越地震では狭い地域での被害だったので広域被害に対する対策が進まなかった。東日本大震災後は津波被害が強調されたが、過密都市圏での被害がなかったし、[[東日本大震災]](3月)、[[阪神淡路大震災]](1月)、[[新潟県中越地震]](10月)など寒い時期・地域での被害だったので、雨や暑さなどに対する対策がおろそかになった。
:東日本大震災以前には「3日以内に救援が来る」として、3日分の備蓄で十分とされた。
:想定外なのは、深部を震源とする広域地震である。歴史上今までほとんどないからである<ref group="注">{{要出典範囲|[[天正地震]]に可能性がある。|date=2015年9月}}</ref><ref group="注">現行学説では、深部地震で大きな震度にはならないとされている。</ref>。地震波の波形や周期が普通の想定と異なり、[[ユレダス]]やエレベーターのP波管制運転も効果がない。また広域地震でも強震域がまだらであり対策が遅れる可能性がある<ref group="注">例えば東京(千代田区の気象庁)で震度4と言っても、埋め立て地や旧河道で震度6強などの場合があり得る(東京ではかなり濃密な観測網が張り巡らされているが、故障や通信途絶などで空白地域ができることがあり得る。そこが大きな被害地域である可能性が高いが、そう判断するとは限らない。)特に観測網がまばらな土地で、対策遅れがあり得る</ref>。
::また、2016年熊本地震では
:::#M6.5の地震は前震であった。気象庁の100年あまりの経験から作られたマニュアルでは「(直下型で)M6.4以上なら本震とみる」とされていたからである<ref>『気象庁の敗北宣言 震度7、連鎖の衝撃』日本経済新聞2016年5月10日(1)ルポ迫真 </ref>。2つの地震が連動する可能性も考えられていなかった
:::#28秒後に大分県で関連地震が起こった(震源断層は別だとされる
:近い将来起こるとされる[[首都直下地震]]や特に[[南海トラフ]]地震では、多くの種類の被害が起こる複合災害であるとされてはいるが、その対策は進んでいない。
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::::[[自由民主党]]は2012年12月に、同月の[[衆議院]]議員選挙のための同党の[[マニフェスト]]として発表した政策集の中で、「今後数年以内に、極めて高い確率で首都直下型や[[南海トラフ]]の巨大地震が発生すると予想されています。」とし、これらの災害に備えるために「[[国土強靭化計画]]」という[[公共投資]]計画を発表した<ref>[http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/j_file2012.pdf 日本を取り戻す]J-ファイル2012 自民党総合政策集p.4</ref><ref group="注">具体的な政策の内容(PDFp11、ページはp20)で、869年[[貞観地震]]、1611年[[慶長三陸地震]]、1896年[[明治三陸地震]]、1933年[[昭和三陸地震]]それぞれの2-10年後に首都圏地震、5-18年後に南海トラフ巨大地震が起こっていることを指摘している。</ref>。この計画は10年間に200兆円の投資を行うもので<ref group="注">200兆円は「真水」(国家予算の直接投入分)ではなく、総事業費。</ref>、財源には[[建設国債]]が当てられると考えられている。
=== 防災意識 ===
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==== 認知的な歪み ====
人間は大きな確率の危険は過小評価し、小さな確率の危険は過大評価する傾向がある。そのため発生確率98%の危険は軽視され、1,000年に一度の(低い確率の)危険は重視される。次に、大きな被害をもたらす危険は大きく認識されるため、1,000年に一度の巨大被害には必要以上の防災投資がなされる。また若い人は災害を過小評価し、高齢者は敏感である。そのため近い将来の被害予測に対して高齢者は大きく反応する<ref>{{cite web |url=http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121021-00007484-president-bus_all |title=巨大地震「4年以内70%」だとなぜ怖いのか-認知的な歪み |publisher=プレジデント |date=2012年10月21日 |author=広瀬弘忠(ひろせ・ひろただ)(東京女子大学名誉教授) |archivedate=2012-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121024014026/http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121021-00007484-president-bus_all |accessdate=2014-08-27}}</ref>。
=== 耐震化工事の遅れ ===
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* 被災3県を除く全国の避難所9万箇所のうち耐震化されているのは56%であるという。「東海地震が明日起きてもおかしくない」と言われ続けてきた静岡県でさえ公共施設の耐震化は16年度末までかかる。大阪府守口市の公立小中学校の耐震化率は35%である。滋賀県近江八幡市役所は2006年の耐震診断で不合格となっている。
会計検査院に対する自治体の説明では「堤防・水門などの新設に予算が使われたため、他の耐震化工事のための財源が無い」というのが多いという。
::2013年、国は旧耐震基準<ref group="注">昭和56年・1981年6月1日以前に建築確認を受けたもの。想定震度5強。建物の重さの2割が建物の上部に静かにかけられても大丈夫なように設定されていた。それは1948年[[福井地震]](初めての震度7)から1972年[[八丈島東方沖地震]]まで震度6が観測されていなかったからでもあり、終戦後日本に経済的余裕がなかったからでもある。</ref>で建てられた大型商業施設・病院・小中学校5,000棟の耐震診断を罰則付きで義務づけることとした。それは未改修の建物が、平成15年に9万棟だったのが平成20年でも8万棟あるからである。義務づけるにあたり、耐震診断の補助率を50%に、耐震改修については40%に引き上げる<ref group="注">例えば東京都武蔵野市[[吉祥寺]]の[[前進座劇場]]は耐震改修費用がかさむため存続を断念し2013年1月閉鎖された。[http://mainichi.jp/feature/news/20130107ddlk13040100000c.html 前進座劇場:30年余の歴史に幕 最終公演、9日千秋楽 /東京]{{リンク切れ|date=2016年2月}}(毎日新聞 2013年01月07日 地方版)</ref>。
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::いままで大きな被害を出し、大規模避難所に多く使われている「つり天井」の耐震化は、国の補助金対象外である。
:::2016年熊本地震で、2,000人を収容するはずだった[[益城町]]<ref>人口約3万人。ピーク時避難民1.6万人、1ヶ月後も3,400人。</ref>総合体育館は前震で天井板が6枚落ちたため念のため使用を中止したが、本震で10kgの天井板1,000枚以上が一気に落下した。もし避難者を収容していれば、数百人規模の死傷者を出していたと考えられる<ref>「避難、物資すべて後手」読売新聞2016年5月14日</ref>。
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また地震の時、水門が壊れていて動かなかったり<ref group="注">立地上地盤が弱い場合が多く、地盤沈下などで歪んだりする。</ref>、動かすための電気や遠隔操作のための通信手段<ref group="注">河川事務所からの通信手段が堤防地下に埋め込まれた国交省専用光ケーブルだけという場合があり、地震などで損傷を受けることがある。</ref>が損傷している場合もありうる。また、東日本大震災では大規模な防潮堤が十分に連結されておらず<ref group="注">日本一といわれた田老町の堤防。特に7mの堤防とかさ上げした3mの部分をつなぐ鉄筋が全くない。ブロックごとの横の連結鉄筋もほとんどない。</ref><ref group="注">学物質やガス満載の船が制御不能で湾の奥に突入する事態。化学工場の爆発例えば道路の[[ガードレール]]は一つ一つは弱いが、数十m全体がつながって衝突力を受け止める構造になっている。特に防潮堤の場合、津波が来た場合には1カ所が崩れただけで他の部分が無力化する(内側から基礎がえぐられるため。また1カ所崩れた場合にそこに力(流れ)が集中するので、まわりが順番に倒れる。)。</ref>、基礎が弱かったために順番に倒れた例もあった。
=== 救援・受援体制 ===
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*2010年のチリ地震では、避難場所にいたのは3.8%<ref>「避難率 わずか数%」読売新聞2014年9月1日朝刊3面</ref>。
*東日本大震災直後には避難所が女性被災者に対する配慮に欠けていたと言われる。“間仕切りがなく着替えや授乳に困った”、“下着を干す場所がない”、“人前で[[生理用品]]を受け取りにくい”などの悩みがあった<ref>[http://www.nhk.or.jp/ashita/tomorrow/ TOMORROW:女性が安心できる避難所運営]NHK 2015年8月5日<アンコール> </ref>。
*[[LGBT]]など性的マイノリティの人々
*東日本大震災で[[石巻市]]の防災計画に在宅避難者対策がなかったために在宅避難者への支援の分配が大問題になった。避難所と在宅避難者の間で不公平感が高まった<ref>人口6万人が(1階が津波で水没し2階は被害が無かった家が多かったので、)自宅2階に避難していた。</ref><ref>[http://www.nhk.or.jp/ashita/bangumi/ 明日へ−支えあおう− 証言記録 東日本大震災 第44回「宮城県石巻市」]NHK 2015年8月30日</ref>。
*車で避難することは、渋滞が生じ犠牲者が増加するので、基本的に制限されている。尾鷲市を例にしたシミュレーションでは車使用者が15%を越えると死者が増加するとされる。もっとも、高齢化率が高い場合(多くの海岸地域のように)や高台が遠い場合など、車で避難する必要があるが、誰がどうやって車を使うと15%以下にできるかはほとんど決まっていない。「地区防災計画」で決定できるが、線引きは難しい。また非常時に車を使ったとして、処罰できるかどうか、また村八分的な差別・レッテル張りが行われないかの問題がある。「責任持って」と言われても困る。東日本大震災のような昼間では、基本的に居住地にいるのは災害弱者だけである。都会地では、近所同士の助け合いも難しい。東海地震、東南海地震では津波発生から来襲まで1-10分であり、避難方法ではなく避難速度の問題となる。東京の下町デルタ地帯からの避難のシミュレーションによれば、車での避難は不可能である。都会地での車での避難では、渋滞した車一台での出火が、避難路や地域全体の火元になり、避難経路をふさぐ<ref>『週刊 ニュース深読み「震災5年 “命を守る”防災はどこまで進んだ?」』NHK総合2016年3月5日</ref>。
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** [[逢坂山]]([[滋賀県]][[大津市]]と[[京都市]][[山科区]]の間)付近では、[[東海道本線]]、[[国道1号]]、[[国道161号]][[大津バイパス]]、[[北陸線]]([[琵琶湖線]]、[[湖西線]])、[[京阪電鉄]][[京阪京津線|京津線]]、[[琵琶湖疎水]]、[[東海道新幹線]](2km南の[[音羽山 (滋賀県・京都府)|音羽山]]を通る。)が集中している。そこには[[花折断層]]・[[比叡断層]]がある。迂回路はほとんど無い<ref>『日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎(元国土交通省河川局長) 2013年</ref>。
* 関東一都三県には[[踏切]]が約4,000カ所ある。地震発生時には電車が制御区間(電車が通過する時、踏切を遮断する区間)や踏切にいたりする。[[遮断機]]が下りたままだと、避難するや緊急車両の通過が困難になる<ref>『「開かずの踏切」改良探る 国交省が協議会』日本経済新聞2012年9月3日夕刊12面</ref>。また「[[デッドセクション]]」と呼ばれる電気系統切り替え区間で停車すると、そのままでは自力で発車できないため救援が必要となり、後続列車などが止まる。
* 都市圏の道路交通は、都道府県警察本部のコンピュータによる広域制御システムによって円滑に動いている。これは[[センサー]]と信号のネットワークであり、信号・通信路・センサーは通常の電力系統によって電力を供給され動いているが、計画停電で明らかになったように停電に弱い。災害時には、たとえ交通量が変化せず道路に異常が無いときでさえも、信号故障による渋滞や事故が予想される<ref group="注">東北3県で停電しても消えない信号機を数百箇所設置し増強中。震災後に開発された4時間程度のリチウム電池と24時間程度のディーゼル発電機を電源としている(『「消えない信号機」増設 停電でも交通マヒ回避』読売新聞2012年10月27日朝刊34面)。</ref>。事故の現場検証も難しい。緊急時は警官の手信号という方法もある。
* JR各社の[[新幹線総合指令所]]は[[東京駅]]付近にあり、JR東日本は指令所を2014年をめどに[[さいたま市]]に移転する<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/otona/railwaynews/13/etc/20121125-OYT8T00347.htm 新幹線の総合指令室、さいたま市に移転へ]{{リンク切れ|date=2016年2月}} 読売新聞 11月25日(日)10時13分配信</ref>。
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東日本大震災における福島第一原発から避難した9高齢者福祉施設の調査によると、2回以上または県境を越えて避難した場合には前年の2倍以上の入所者が死亡した。どちらの条件にもあてはまらない場合、変化はなかったという<ref>「避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?」 相川祐里奈著、東洋経済新報社2013年</ref>。
::2016年熊本地震では、高齢者ケアが機能していなかった<ref>「高齢者ケア 機能せず 福祉避難所受け入れ わずか 甘い想定、周知不十分」検証熊本地震1ヶ月(4)日本経済新聞2016年5月20日</ref>。熊本市は176カ所、1740人分を福祉避難所に指定したが、1週間後に受け入れていたのは、25施設、64人だった。市は「具体的な応援態勢を決めていなかった。」「多人数が押し寄せると運営に支障が出るので、開設場所を周知しなかった。」という
=== エレベーター ===
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2016年2月の読売新聞の調査によれば、2012年調査の8割が未解消である(単位ha)<ref>「木造密集地 8割未解消」読売新聞2016年1月13日</ref>。
=== 救援と補給の能力 ===
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