削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
57行目:
 
== 来歴 ==
[[福島県]][[田村郡]][[船引町]](現[[田村市]])生まれ。両親は旧[[郵便局|郵便局]]職員。[[福島県立安積高等学校]]、[[早稲田大学社会科学部]]卒業。{{要出典範囲|date=2016年5月25日 (水) 09:25 (UTC)|早大在学中から[[徳永正利]][[参議院議長]]の公設第2秘書を務める}}
 
[[1987年]]、29歳の誕生日直前に[[福島県議会]]議員選挙に出馬し、得票数トップで初当選(20代での当選は、福島県では26年ぶり)。[[1990年]]、福島県議を任期途中で辞職し、[[第39回衆議院議員総選挙]]に[[福島県第2区_(中選挙区)|旧福島2区]](定数5)から[[無所属]]で出馬したが、全立候補者9人中、得票数8位で惨敗する。
 
[[1993年]]、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認で旧福島2区から再度出馬し、得票数は最下位の5位ながら初当選。派閥は[[清和政策研究会|三塚派]]に属し(後に退会)、{{要出典範囲|date=2016年5月25日 (水) 09:25 (UTC)|[[1995年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では、[[小泉純一郎]]擁立を主導する}}が、小泉は[[橋本龍太郎]]に惨敗した。
 
[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、[[小選挙区比例代表並立制]]導入に伴い[[福島県第3区|福島3区]]から出馬し、[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]の[[玄葉光一郎]]を3,533票差で破り再選(玄葉も[[比例復活]])。[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では、[[コスタリカ方式]]により[[比例東北ブロック]]から出馬し3選。同年、[[衆議院]][[議事進行係]]に就任。また[[清和政策研究会|森派]]退会後は2年弱無派閥のままであったが、[[志帥会|江藤・亀井派]]に入会した。[[2003年自由民主党総裁選挙]]では、志帥会会長代行を務める[[亀井静香]]の推薦人に名を連ねたが、亀井は、かつて荒井が総裁選擁立を主導した小泉純一郎に敗北する。[[第43回衆議院議員総選挙]]では福島3区から出馬するが、玄葉に2万票弱の大差をつけられ、比例復活も出来ずに落選。翌[[2004年]]の[[第20回参議院議員通常選挙]]に[[参議院比例区|比例区]]から出馬し、当選した。