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その他、[[1970年]]の「《ゲシュタルト17》」、[[大阪四天王寺雅亮会]]によって初演された「雅楽のための《喚起/エヴォカシオン》」、楽譜の余白に[[シュレディンガー方程式]]や[[アインシュタイン]]の[[宇宙方程式]]、[[ハイゼルベルク]]の[[Sマトリクス]]をちりばめた[[1971年]]の「 ピアノのための《スペクトラ第4番》」、「無伴奏チェロのための《動標》第2番」、[[北ドイツ放送]]の委嘱による[[1972年]]の「 混声合唱のための《廻向》」、[[1973年]]の「オラトリオ《親鸞》」等大作が続く。[[1974年]]には、松下眞一の音楽の集大成とも言える「交響曲第6番《シンフォニア・サンガ》」、「大阪の秋」現代音楽祭で朝比奈隆によって初演された「ヴァイオリン協奏曲《田園詩》」が作曲される。[[1975年]]には、「交響幻想曲《淀川》」に至る。
 
「ヴァイオリン協奏曲《田園詩》」はセリー音楽を極限まで推し進めた世界にもかかわらず、ヴァイオリンパートには叙情性が半音階とともに強化され、結尾は四六の和音で終わる。また、一方では、《星達の息吹き》や《シンフォニア・サンガ》など、セリー音楽と新調性主義的傾向が同居している。この頃は新ロマン主義の傾向が明確になり、内容と様式が転換していった時期であった。オーケストレーションを含む楽器法が非常に分厚くなり、ユニゾンを要所で叩き込み堂々と反復語法に訴えることでテンションを増していることはハンブルクで初演された混声合唱作品「廻向」で確認できる。
 
これ以後の作風は仏教音楽への傾斜が大きくなり、[[1975年]]から[[1977年]]の「法華経によるカンタータ《仏陀》三部作」では、一般信徒の理解も考慮してのこととはいえ、前衛的な要素が抑えられていった。この時期に体調を崩し、帰国する。