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===競艇===
笹川良一がモーターボート競走に関心を持つ切欠となった巣鴨プリズンで手にした『ライフ』誌にボート写真が載っているのを見たことであったという。笹川は「モーターボート競走30年史草創期篇」で語っている。出所から2ヶ月も経たない昭和24年2月頃から、モーターボート競走法制定について主要政党や関係各省庁、有識者などに働きかけを開始。藤や[[矢次一夫]]と計らって[[モーターボート競走法]]成立に尽力し、社団法人[[全国モーターボート競走会連合会]](全モ連)の設立に関与。更に日本船舶振興会を創設し、会長などを務めた。モーターボートに興味を持ったきっかけは、戦時中の特攻隊を見て、モーターボートに爆弾を積んで敵艦に激突できないか、と考えたことにあるとされる(そのような兵器として実際に特攻艇「[[震洋]]」が製作、投入されているが、もちろん笹川の提案で作られたものではない)。その際、日本船舶振興会の[[テレビコマーシャル|CM]]に自ら出演。「Together to tomorrow」をキャッチコピーに、子供たちとの「一日一善」の掛け声や社会奉仕活動の模様が紹介された。
 
尚、[[高見山大五郎|高見山]]や子供たちと共に「一日一善」等のシーンは1975年から会長を務めた財団法人日本防火協会のCMにも使われた。CM全体のイメージが日本船舶振興会のそれとほぼ共通であったため混同されがちである。ちなみに同協会でCMを流していたのはほぼ笹川の在任期間と同じ1976年度から1994年度まで。