「伊号第四十一潜水艦」の版間の差分

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11月9日、呉から[[大津島]]へ[[回天]]搭乗員と整備員を輸送する。呉に戻った後の10月20日、伊41は[[捷号作戦|捷一号作戦]]に参加して呉を出港し、フィリピン東方方面へ進出する。10月27日、[[レイテ島]]東方沖合に移動する。11月3日2330、[[サンベルナルジノ海峡]]で米機動部隊を発見し、魚雷6本を発射。うち1本が米[[アトランタ級軽巡洋艦]][[リノ (軽巡洋艦)]]の左舷に命中し、同艦を撃破。12日、米機動部隊を攻撃したとの報告を最後に消息不明。
 
アメリカ側記録によると、18日、[[サマール島]]東方沖合で、米護衛空母[[アンツィオ (護衛空母)|アンツィオ]] (''USS Anzio, ACV/CVE-57'') の艦載機が浮上航走中の潜水艦をレーダーにより探知。その後、潜航し潜水艦へ向け、アンツィオの艦載機2機と米護衛駆逐艦{{仮リンク|ローレンス・C・テイラー (護衛駆逐艦)|label=ローレンス・C・テイラー|en|USS Lawrence C. Taylor (DE-415)}}(''USS Lawrence C.Taylor, DE-415'')、同]]{{仮リンク|メルヴィン・R・ナウマン (護衛駆逐艦)|label=メルヴィン・R・ナウマン|en|USS Melvin R. Nawman (DE-416)}}(''USS Melvin R. Nawman, DE-416'')の14時間にわたる爆雷攻撃が行われ、潜水艦を撃沈した。これが伊41の最期であり、艦長の近藤文武少佐以下全乗員が戦死した。沈没地点はサマール島東方沖合、{{coor dm|12|44|N|130|42|E|}}。
 
[[12月2日]]、[[フィリピン]]方面にて沈没と認定され、[[1945年]][[3月10日]]除籍。