「徳川宗春」の版間の差分
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* [[元文]]4年1月12日([[1739年]]2月19日) - 幕府より[[蟄居]]を命ぜられる。
* [[明和]]元年10月8日([[1764年]]11月1日) - 薨去。戒名:章善院殿厚譽孚式源逞大居士、墓所:[[名古屋市]][[東区 (名古屋市)|東区]]筒井の[[建中寺|徳興山建中寺]]<ref group="注釈">現在は名古屋市平和公園に移転</ref>。
* [[文政]]四年<[[1821年]]> - [[尾張藩]]十代藩主[[徳川斉朝]]により、名古屋御下屋敷内に孚式[[山王権現]]として神として祀られる。これ以降」、宗春は[[権現]]として毎年法要がおこなわれた。
* [[天保]]10年11月5日([[1839年]]12月10日) - [[贈位|贈]][[従二位]][[大納言|権大納言]]<ref group="注釈">江戸時代において、死後75年を経ての贈位贈官の例はほとんどなく、宗春に対する幕府の措置は異例中の異例であった。なお、贈従一位の声も挙がったものの、[[林大学頭]]の答申では不相当とあり、結果として従二位の贈位となった。参考資料:小野将「近世後期の林家と朝幕関係」史学雑誌第102編第6号(1993年6月)</ref>。
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