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===宥荘寺のその後===
頼家の夫人である妙清禅尼によって、13世紀初めの[[建仁]]2年([[1202年]])に建立された菩提寺が宥荘寺である。しかし14世紀中頃の</nowiki>[[延元]]2年([[1337年]])の[[本庄国房#薊山合戦|薊山合戦]]で寺は焼失。さらに16世紀中頃の天文24年([[1555年]])に頼暁と言う[[紀伊国|紀州]]の僧侶が本庄氏ゆかりの霊場が無くなるのを惜しみ、西光寺(児玉党祖である[[児玉惟行|有道惟行]]が浅見山、本庄で言う大久保山に建てた寺)と宥荘寺を一か所に再建した。これを[[宥勝寺]]と言う。山号は西光山。
 
宥荘寺の名の由来は、その名の通り、「'''荘(庄)'''氏を'''宥'''(なだ)めるための寺」である。