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戦後混乱
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{{see also|連合国軍占領下の日本}}
 
日本で「'''戦後混乱期'''」というと、[[1945年]](昭和20年)[[9月2日]]の[[日本国政府|日本政府]]の[[ポツダム宣言]]受諾に伴う[[日本の降伏|]]による[[第二次世界大戦]]の終結]]から、[[1950年]](昭和25年)[[6月25日]]に勃発した[[朝鮮戦争]]による[[特需景気]]([[朝鮮特需]])で経済復興の糸口を掴む頃までと見なす。
 
[[東京湾]]停泊の[[アメリカ軍|米軍]][[ミズーリ (戦艦)|戦艦ミズーリ]]上での日本側全権代表が[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に対しての降伏文書に調印した[[1945年]](昭和20年)[[9月2日]]から[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]が発効される[[1952年]](昭和27年)[[4月28日]]までの、[[第二次世界大戦]]日本が敗れた結果として[[GHQ連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP)に占領されていた時期([[連合国軍占領下の日本]]:約6年8ヶ月間に及ぶ日本の有史上初の外国勢力による被間接占領期、[[占領時代]]とも呼ばれた)を指す場合もある。
 
=== 特徴 ===
この時期には、700万人にも及ぶ在外日本人(現在の[[在留邦人]])の[[引き揚げ]]もあり、庶民は合法的に[[配給 (物資)|配給]]された食糧だけでは生活財に事欠き生活が困難であり、焼け跡には[[闇市]]が立ち並んだ。また、敗戦国の国民としてのコンプレックスから、戦勝国・アメリカの文化への「ギブ・ミー・[[チョコレート]] (Give me chocolate !)」が流行語になり、「[[パンパン]]」と呼ばれる街娼が登場したのもこの時代でもある。
 
占領状態から講和、主権回復の過程で[[労働運動]]など民衆運動が盛り上がり、[[松川事件]]・[[三鷹事件]]・[[下山事件]]の[[国鉄三大ミステリー事件]]も発生した。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の中止命令で挫折したものの、[[1947年]](昭和22年)の[[二・一ゼネスト|2・1ゼネスト]]が計画されたのはこの時期だった。また、極度の[[貧困]]により[[社会主義]]・[[共産主義]]思想が台頭し始める社会情勢となっていく中で、[[日本共産党]]が[[武装闘争]]路線をとり、[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]発効の3日後[[1952年]](昭和27年)[[5月1日]]に[[血のメーデー事件]]が発生したのも、この時期であった。
 
[[総力戦]]遂行に至るまでの[[大政翼賛会]]・[[挙国一致内閣]]政権樹立や[[国家総動員法]]の制定、[[軍国主義]]的風潮が終焉となったものの、敗戦後の[[日本の政治]]の世界も、[[日本の政治|政党]]の離合集散が激しく、混乱が続いた。
 
== 関連項目 ==