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[[File:Inunaki old tunnel.jpg|thumb|宮若市側の犬鳴隧道入口。入口左に記念碑。]]
'''犬鳴隧道'''(いぬなき ずいどう、通称:旧犬鳴トンネル)は明治十七、十八年頃(1884~1885)に糟屋郡と鞍手郡連合組合会の決議において工事が着手されたが工事技術の未熟さと莫大な工事費を要したため中止となり、昭和二十四年(1949)十一月三日大幅に遅れて完成した。翌年の[[1950年]][[8月]]に開通し、当時は八月には[[国鉄バス]]の[[博多]]〜[[直方市|直方]]の運行経路として使われた<ref>[http://www.city.miyawaka.lg.jp/hp/page000004700/hpg000004700.htm 宮若市役所-旧若宮町のあゆみ(年表)]</ref>。全長を示した[[銘板|プレート]]は[[腐食]]が進み[[錆]]付いて[[解読]]不能なため、正確な[[距離]]は不明である。[[地図]]上の長さでは、おおよそ150[[メートル]]ある。トンネル開通当時でも、峠全体が[[深山幽谷]]かつ[[恐怖|薄気味悪い]]場所でもあるため、車の通行が極めて少ないとされている<ref>[http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/13807/p139.pdf 筑豊の峠みち 深町純亮]</ref>。よく旧犬鳴トンネルと称されるが、銘板には「犬鳴隧道」と彫られており、国土地理院の地図でも「犬鳴隧道」の名称で記載されている。しかし[[宮若市|宮若市役所]]や[[参考文献|文献]]では新旧区別のために犬鳴トンネルと称するなど、両方一概とされている面もある。
旧犬鳴トンネル口道路記念碑
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